温故知新~「ハレ」と「ケ」で敬語を考えてみる
2024/10/04
民俗学でいうところの「ハレ」と「ケ」は「非日常」と「日常」というふうに説明されます。 「ハレ」を「人智を超えた領域=分からないもの」、「ケ」を「よく知っているもの」と解釈すれば、「ハレ」が敬語を使う範囲、「ケ」が敬語を使わない範囲、と説明できるかもしれません。 神輿を担いで練り歩くお祭りに敬語は不要かもしれませんが、基本的に「冠婚葬祭」となれば多少はかしこまります。

2024/09/27
「客観的に物事を見る」と言葉で言うのはたやすいことですが、感情的に絡み合った人間関係に巻き込まれてしまうと、それは簡単なことではありません。 そんなとき、「人智を超えた何か、人の都合では変わらない何か」を想定すると、メタ認知を持ちやすくなります。 敬語を使うということは、そういう視点を持つということでもあります。
敬語を使うには、”自分を超えた”ではなく”人智を超えた”何かを想定し、その”何か”に敬意を払う
2024/09/20
敬語を使ううえで(他者に敬意を払ううえで)必要なものは、まずは聞き手尊重。つまり、自分の言動が絶対的に正しいとは限らないということをよくよく承知して他者と向き合うことです。 そのとき、自分には分からないものがある、と考えると自分だけが愚かなような気がしてしまいます。ですので、人間は全知全能ではないのだと広く捉えましょう。かつ、その人間の向こう側に”何か”とのつながりを見て、その”何か”に敬意を払います。

「すべての人は平等」に敬語は反するか?
2024/09/13
敬語を使う立場の人に比べて、敬語を使われる立場の人は人間的にも尊い。 なんとなくそんなふうに感じている人は多いかもしれない。 けれど、敬語を使いこなす目的のひとつは、上下関係がその建前の中に限るものであるということを踏まえて、かえって人間の尊厳は立場の上下に関わらないということを意識することである。

共感する日本語の10の特徴~『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』④
2024/09/06
この本の著者は金谷武洋。カナダで25年日本語を教え続けた先生です。 先週は他動詞のSVO構文を基本とする言語が二元論と支配につながるという著者の説を受けて、敬語はそれを否定すると述べました。 今回は、その最終回です。

支配は力と正義を欲する~『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』③
2024/08/30
この本の著者は金谷武洋。カナダで25年日本語を教え続けた先生です。 先週は、母語の重要性についてご案内しました。 今回は、以下の文章から、日本語、そして敬語の特長を掘り下げます。 「英語に代表される他動詞のSVO構文を基本とする言語の根本的な問題は、その構文が発想として「SとOの分離による二元論」そして「S(主語)のO(目的語)に対する支配」へと繋がるということにあります。  さらに、Sには「力」とともに「正義」がしばしば与えられてしまうのが一番危険なのです。英語を始め西洋の言語の話者が何か失敗をしても謝らないのはそのためでしょう。自分は力と正義が与えられるSの位置を常に保っていたいと思うからです。(p.224~225)」

日本語で考えるために日本語を知る『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』②
2024/08/23
『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』(金谷武洋著)を読んで感じたことをご紹介します。 日本人は、当然ながら日本語で思考します。そのためには、日本語を知り、使いこなす必要があります。それができなければ、自分が見た事実を把握し、理解し、深めていくことができません。 そして、日本語には「共に味わう」という素晴らしい特性があります。

過ちを繰り返さない『日本語が世界を平和にするこれだけの理由』①
2024/08/16
この本の著者は金谷武洋。カナダで25年日本語を教え続けた先生です。 私はよく、敬語を使うことで上下関係が明確になり主語を省くことができます、と説明していますが、著者によると、「日本語に主語はいらない(p.143)」のだそうです。...

『お白洲から見る江戸時代』~⑤ 「仕来り」から現代へ
2024/08/09
江戸時代のお白州は「座敷・上緣・下緣・砂利という段差のある構造を有し、江戸時代の社会秩序が可視化される"世界の縮図”としての意味も持っていた」。ならば、現代にその機能を有するものは敬語であろう。 『お白州から見る江戸時代』を読みながら、敬語の可能性について考える、今回はその最終回です。

『お白洲から見る江戸時代』~④組織の自浄作用
2024/08/02
江戸時代のお白州は「座敷・上緣・下緣・砂利という段差のある構造を有し、江戸時代の社会秩序が可視化される"世界の縮図”としての意味も持っていた(P.305)」。ならば、現代にその機能を有するものは敬語であろう。 『お白州から見る江戸時代』を読みながら、敬語の可能性について考える、今回はその4回目です。

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