『みなさん これが敬語ですよ』は、萩野 貞樹先生の本です。
萩野先生については、多分、好き嫌いがわかれるでしょうね。
ご自身でも自覚していらっしゃるようで、本の冒頭に、自分の話が気に食わない人は読むな、というような主旨のことが書いてありますが、株式会社リヨン社から発行されているので、よかったら読んでみてください。
また、敬語についての考え方が異なる人についてプロローグ(p.12)では、「~と主張する人たちは、しばしば非常に依怙地で」と形容する一方、彼らが自分に対して「やれ古いの視野が狭いの、国際性がないの民主的でないの、ときには差別主義者だの」と揶揄されることを「言葉の問題だったはずがたちまち人格・思想の問題にされて」とおっしゃるのです。
人を“依怙地”と形容する時点で、すでに御自ら「人格・思想の問題に」すり替えているような気もするのですが、その点についての自覚がまったくなさそうなあたりにとても人間味を感じてしまいます。
こんな調子ですから、敬語についても、歯に衣着せぬ物言いで、非常に明解です。国民の9割が使う言い方であろうと、文化庁がお墨付きを与えている言い方であろうと、間違っているものは間違っていると言い放つ勢いです。
わかりやすい説明の一方で、言葉にするのが苦手な男性よろしく、自分と異なる意見については「気にしなくて結構です。」(p.20)と、さながら「黙って俺について来い」とでもいうように切り捨てます。
(読み手にしてみたら、なぜ気にしなくてよいのか、もう少し説明してもらいたい気持ちになるのですが…。)
このように書くと、ご自身の好き嫌いでものを言っていらっしゃるように受け止められてしまうかもしれませんが、そのようなことを言いたいわけではありません。
見かけ上整合性が取れていたり、大した違いがないように思われることでも、文法上のルールや敬語の原則から外れているものは許せないのだと思います。そして、ご自身は国語学者でいらっしゃるので、深く追究して納得するまで考えても、それを誰でもがわかるように説明できないと、”黙って俺について来い”になってしまうのでしょう。
そこには、正しい敬語に対する愛着や、美しい敬語に対する憧れがあるように感じられます。それがわたしには、一人の女性を愛しぬく男らしさのようにも見えます。
※この本の「おわりに」によれば、国語学者である時枝誠記先生への「あこがれと尊敬によって綴ったもの」とのことです。
通常、敬語についてある程度の知識があっても、第三者敬語(話し手と話し相手以外の人について話題に取り上げる際の敬語)は難しいものです。しかし、この本では第三者敬語が基本であり、たまたま話し手や話し相手と、行為者と被行為者が同じこともある、というスタンスで説明されるので、第三者敬語についての理解は深まると思います。
図解入りの説明でわかりやすく、誤用例が可笑しくて、とても勉強になる本ですよ。