町の不動産屋さんで、気になる看板を見つけました。
「もしも、どこかの不動産他社様で初期費用のお見積りを頂いておりましたら、是非、お持ち寄り下さい!」というものです。
この文脈で“持ち寄る”というのも気になりますが、今回取り上げるのは”(お見積りを)頂いておりましたら”という部分です。
この部分は、3つの敬語が使われています。
「頂く」と「おる」と「ます」です。
この中で、「ます」は丁寧語であり、丁寧語として正しく使われていますので、問題はありません。
問題は、「頂く」と「おる」です。
I)謙譲語「頂く」について
まずは「頂く」について確認しましょう。
「頂く」は「もらう」の謙譲語です。
その中でも「自分側から相手側又は第三者に向かう行為・ものごとなどについて,その向かう 先の人物を立てて述べる」「謙譲語Ⅰ」(「敬語の指針」)に該当します。
さらに、その中でも、「頂く」は、「謙譲語Ⅰの基本的な働き に加えて,恩恵を受けるという意味も併せて表」します(「敬語の指針」)。
つまり、「(見積りを出した他の不動産会社により、あなたは)見積りをもらうという恩恵を受けた」ということを意味しています。
これは、不動産会社同士、他社に対しての配慮という面を考慮したとしても、お客さまに対する言葉遣いとしては気になります。
II)謙譲語「おる」について
では、次に、「おる」に取り掛かりましょう。
「おる」は「いる」の謙譲語です。
その中でも、相手に対する話し方に丁重さをもたらす「謙譲語Ⅱ」(「敬語の指針」)と分類されます。
例えば「私はここにおります」というように、単にへりくだって使う用法のほか、「公園には何人かの子どもたちがおります」というように、自分の子どもでなくとも使うことができます。子どもに限らず、「昼時の公園にはサラリーマンもおります」と、見知らぬ他人であっても同様です。
この場合、子どもだから、見知らぬ他人だからへりくだった表現をしている、というわけでは、もちろんありません。話し手から、話し相手に対して示す敬意として、丁重な話し方をしていますよ、というアピールになるわけです。
ただし、例文の子どもやサラリーマンは、へりくだらせているわけではないにせよ、「立てなくても失礼に当たらない人物」(「敬語の指針」)ではあります。「あなたのお父さまが、公園におります」という文章の場合、「あなたのお父さま」は「立てなくても失礼に当たらない人物」には該当しないので、誤った使い方だ、ということになります。
ここで、問題の文章に戻りましょう。
「頂いておる」のは誰かというと、お客さまですね。
では、この文章では、お客さまを「立てなくても失礼に当たらない人物」とみなしていることになってしまいます。
これも、気になります。
III)”(お見積りを)頂いておりましたら”の意味
これまで見てきたように、問題の文章では、「頂く」は不動産他社を立て、「おる」ではお客さまを「立てなくても失礼に当たらない人物」としていました。それぞれの言葉の意味を説明したところで、問題の文章を言葉どおり解釈してみましょう。
「もしも、どこかの不動産他社様で初期費用のお見積りをもらうというような恩恵をあなたごときが受けることができたなら、是非お持ち寄り下さい!」
あなたはこんなことを言われたら、そのお店に行こうと思いますか?
本当に立てたいのはお客さまというのであれば、以下のような言い方をお勧めします。
「もしも、どちらかの不動産他社でお受け取りになった初期費用のお見積りがございましたら、是非、お持ち寄りください!」
では、また。