『日本語は親しさを伝えられるか』より「~いただくことになっております」①

今回は、放送大学教授の滝浦真人先生が書かれた『日本語は親しさを伝えられるか』を取り上げます。

 

  放送大学は、観るだけなら誰でもテレビで観ることができます。私は滝浦先生の「日本語とコミュニケーション」という授業が好きで視聴していました。それがきっかけで先生の本を読みたいと思い、手に取ったのが『日本語は親しさを伝えられるか』という本です。この本は、国語としての日本語やその歴史、諸外国の言語との違いなどを通して、この先の日本語について考えていくという、敬語という枠には収まりきらないようなテーマを、丁寧にわかりやすく説明してくれる、大変面白い本でした。

 

ぜひ皆さんに読んでいただきたい本ではあるのですが、その中にどうにも気になる点を見つけてしまったのが今回のテーマです。ファミレス言葉などと批判されがちな言葉を、擁護するような論を繰り広げておいでなのですが、いつも論理的で冷静な先生の理論が、どうもこの話題になると結論ありきで無理を押し通しているように見受けられるのです。

 

少し長文になりそうなので、何回かに分けてお伝えしていきます。

 

■この本では「~いただくことになっております」をどのように説明しているか

まずは、最近よく耳にするようになった「~いただくことになっております」という言い方ですが、この本の中では、以下のように書かれています。 

 

  何かの代金の前払いを求める際に「初めにお支払いいただくことになって

  おります」と言うならば、それは「払ってください」と指図する代わりに

  「一般則」として述べているということになる(p.108)

  動機づけは、相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇である(p.109)

 

人は通常、「”邪魔されずに自分のことを自分で決めたい”(p.108)」という欲求を持っているものですが、その普遍的に人が持っている欲求という「相手の領域」を「侵すことへの遠慮・躊躇」を発話者が感じ、その気持ちを表した表現が、この「一般則」なのだと本では説明しているのです。

 

■「~いただくことになっております」という言い方は「一般則」か?

「一般則」という言葉についての詳しい説明はなされておらず、辞書にも載っていないので、「一般的な法則」というほどの意味で理解するしかないでしょう。例えば友人がミスをして落ち込んでいるときに「そんなミス、気にすることないよ」と慰めるのも一つの方法ですが、「人はミスするもんだよ」という言い方をしたなら、それが「一般則」という具合です。言ってみれば、お手製の『マーフィーの法則』です。

 

「相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇」の表現としての「一般則」なんて言われると、まるで聞いたことがない新しい概念のように聞こえますが、接客業の人なら、実際にはよく使っているかもしれません。例えば、「お宅の麻婆豆腐を買って、うちで食べようと思ったら、魚肉ソーセージの赤いビニールが入ってたわ。どういうこと⁉麻婆豆腐に魚肉ソーセージなんて使ってるの⁉食べたらどうなってたと思ってるの⁉」とお怒りの電話がお客さまからかかってきたとしましょう。これに対して店員が「魚肉ソーセージなんて使っていません!魚肉ソーセージのビニールが入るはずがありません!」とお客さまの言葉を真っ向から否定しても、溝が深まるばかりです。「こんなことを言っては失礼ですが、唐辛子か何かを魚肉ソーセージのビニールとお間違えになったのではありませんか?」と訊けば、いくら敬語を駆使しようとも、客をバカにしているのかと更に怒られるのがオチです。そのようなときに「一般則」として言うなら、「当店では唐辛子を粗みじんにして使用しております。唐辛子がきれいな真四角になってしまうと魚肉ソーセージのビニールのように見えることがあるのですが、そのようなことはございませんか?」という言い方になります。「一般則」を使って尋ねると、「あなたの間違いだ」と相手を責めて相手の反発を買うという不毛なやり取りから抜け出して、「あなたに役立ちそうな情報を提供できます」という協力関係を築くことができます。情報提供と協力の申し出なら、お客さまは自己防衛を働かせる必要がないので、言われたことを好意的に受け止めることができるのです。

 

滝浦先生が取り上げた「初めにお支払いいただくことになっております」という言葉は「一般則」を自分側の行為に当てはめてしまっています。つまり「一般則」とは、自分側の行為(「(当店では)先に払ってもらう」)ではなく立てたい相手の行為(「(あなたが)見間違えた」)に対して使うもののはずです。(なぜなら説得の技術ではなく、ポライトネスー広い意味での敬意と捉えてくださいーのストラテジーについての説明だから)

 

私が不勉強なだけで、英語をはじめ海外ではそのような使われ方がもしかするとあるのかもしれません。しかし、もしあったとしても、日本語に当てはめるのは無理があります。(「May I have your name?」を直訳したような「お名前様頂戴できますか?」という言い方に、「お名前をうかがってもよろしいでしょうか。」よりも敬意を感じるという人は少ないでしょう。)「私は毎朝7時に起きることにしているの」と、単にマイルールを話のネタに使う分にはかまいませんが、「人は7時に起きるものよ」とマイルールを押し付けられてはかないません。ましてこれを”敬意表現だ”と言われては困ります。「初めにお支払いいただくことになっております」という言葉で表明されているのは、「その店独自のルール」であって、決して「”一般”則」ではなく、まして相手を傷つけない配慮としての「一般則」ではないということです。

 

では、動機についてはどうでしょう。「相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇」が動機なのでしょうか。話し手の内面を窺い知ることはできませんが、「相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇」が感じられるかどうかを次回考えてみましょう。

 

それでは、また。