『日本語は親しさを伝えられるか』より「~いただくことになっております」②

前回に引き続き、放送大学教授の滝浦真人先生が書かれた『日本語は親しさを伝えられるか』より、「初めにお支払いいただくことになっております」という言い方について批判的に考えます。今回は、なぜこのような言い方を選んで行うのか、その動機について考えていきます。

 ■この言い方の動機は「相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇」か?

 

二つ目の疑問点は、この「初めにお支払いいただくことになっております」という言い方に、「相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇」という動機を聞き手は感じるだろうかということです。

 

ここで言う「相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇」とは、”相手を傷つけない、もしくは相手を不快にさせないような配慮”でなければならないでしょう。少なくとも相手のための配慮であってほしいものです。何を言いたいかというと、「相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇」が、触らぬ神に祟りなしで、相手とかかわりたくない、相手から怒られたくないというような気持ちを指す可能性もあり得るということです。相手のための配慮と、相手とかかわりたくないという気持ちでは、方向性が逆です。

 

「初めにお支払いいただくことになっております」という言葉は、本でも取り上げられるくらいに浸透した言葉なので、耳に馴染んでしまい、なんとも感じなくなってしまっている人も多いでしょう。そこで、あまり耳にすることのないような別の例で考えてみましょう。

 

a)「ウチの店を利用しないんならウチの駐車場に車を停めないでください」

 

これは直接的な指図です。「初めにお支払いいただくことになっております」に対する「初めにお支払いください」にあたります。かろうじて丁寧語は使われていますが、あまり配慮は感じられません。もう少し敬語をふんだんに使うなら「当店を利用なさらない方は、当駐車場に車をお停めにならないでください」となります。これを「初めにお支払いいただくことになっております」式の言い方にしてみましょう。

 

b)「当店の駐車場では、当店を利用なさらない方は車をお停めいただけないということになっております」

 

bの言い方に、多くの人は引き下がるでしょうが、カチンと来る人も少なからずいるでしょう。多分私もその一人です。尊敬語に謙譲語に丁寧語と、使われている敬語は盛沢山です。しかし敬語は距離を取る言葉でもあります。(これは滝浦先生も繰り返し書いていらっしゃることです。)a の言い方にはまだ人間味があり、「マナーの悪い人が勝手に車を停めて、困ってるんだろうな」など想像ができます。が、b の言い方からは冷たい拒絶しか感じられません。「初めにお支払いいただくことになっております」という言い方は、実はbと同じ言い方をしているのです。

 

bは「しないでください」という否定の命令でした。冷たい拒絶に感じられてしまうのは、取り上げた例が否定の命令だったからかもしれませんので、「初めにお支払いください」と同じ「してください」でも確認しておきましょう。

 

a')「食べ終わった食器は、返却口にお戻しください」

 

これが「初めにお支払いください」にあたる直接的な指図です。

 

b')「食べ終わった食器は、返却口にお戻しいただくことになっております」

 

a'の言い方よりも、b'の言い方に「相手の領域を侵すことへの遠慮・躊躇」を感じるという人は、いったいどのくらいいるでしょうか。かえって偉そうな態度だと感じてしまうのではないでしょうか。

 

相手への配慮どころか、”冷たい拒絶”、”偉そうな態度”としか感じられない理由は、敬語の使われ方から説明ができます。ちょっと小難しい話になりますが、お付き合いください。

 

■「初めにお支払いいただくことになっております」に使われている敬語

動作の主体を立てるもっとも中心的な敬語が「お(ご)~になる」です。「お支払いになる」「お停めになる」などと使います。これは動作を名詞化し、あたかも自然にそうなったかのように表現する敬語です。

※2時間目接頭辞「お」「ご」を参照

 

したがって「お支払いになる」の「支払い」は名詞です。「停め」のように普段それだけを名詞として使うことがない言葉も、接頭辞の「お」をつければ、名詞として使えるという尊敬語に認められた特別ルールです。

※「”歩き”で行きます」「ちょっとした”遊び”」の”歩き””遊び”など、あまり意識したことはないかもしれませんが、名詞化された動詞は珍しいものではありません。

 

ではもう一度、問題の文章を見直してみましょう。

 

「初めに支払いいただくことになっております」

 

どうですか。「お~になる」が隠れていますね。「~」に該当する部分は「支払いいただくこと」とちゃんと名詞化されています。もちろん敬語としての正しい使い方ではありませんが、先払いというルールを誰が決めたわけでもなく、あたかも自然にそうなったかのように表現してはいませんか。であれば、「お支払いいただく」という行為の主体を立てている言い方そのものではないでしょうか。

 

それでは次に「お支払いいただく」のは誰かという問題が出てきます。

 

■「お支払いいただく」のは誰か(敬意は誰に向いているのか)

話し手が「お支払いいただく」のを自分と考えている、つまり目の前の客に対峙している自分は店の代表であるとして認識しているならば、その言わんとするところは「客がどう感じようとどう思おうと、こちらは初めに払ってもらうぞ」という”宣言”です。

 

そしてもう一つ、「お支払いいただく」のが店であり、自分とは関係ないと考えている話し手ならば、お客さまよりも店を立て、店員として自らが働いている店をウチではなくソトに置く言い方になります。そして、最後の「おります」で、ようやくお客さまを立てています。その言わんとするところは「店がそう決めたんで。理由は知りません。ただ指示されたことを言っているだけなんです」という”責任回避”です。そして私は、実は後者がほとんどではないかと思っています。

 

■自分が働く職場に対する所属意識の希薄化

自分が働いている店をソトと考えるなど、ひと昔前なら想像もできないことかもしれません。しかし今ではそんな常識は通用しないかもしれません。以前、某A社のコールセンターで働いていたときに、新しくアルバイトで入った学生が、「A社さんは返金とかしないそうです」と、他人事のようにお客さまにご案内しているのを聞いて、びっくりして止めに走ったことがありました。ここまでの例は極端だとしても、バイトっぽさを出すために語尾を伸ばして「こちらのほうで~、お客さまのほうに~」と話す人もいました。「バイトに難しいことを聞いてもわからないだろう」と思ってもらうためです。もちろん人によって異なるところであり、非正規雇用だからと決めつけるつもりはありませんが、パートや派遣、アルバイトなど非正規雇用という雇用形態と、正社員という雇用形態を比べれば、非正規雇用という形態は、愛社精神を育みづらく、所属意識すら希薄にしてしまいがちであるということは誰もが納得できる部分でしょう。

 

■「初めにお支払いいただくことになっております」の動機

話を戻しましょう。「初めにお支払いいただくことになっております」に含まれる聞き手への配慮は、”謙譲語+丁寧語”である「おります」以外、表現されておらず、発話の動機は相手の意思を無視した”宣言”もしくは”責任回避”であることを説明してきました。

 

そもそも、「初めにお支払いいただく」が失礼な言い方なのに、失礼な言い方に何をくっつけようとも、突然配慮に変わるというのは無理があります。そして実際、「ことになっております」をくっつけることで更に失礼を上塗りしているような言葉になってしまいました。

 

さて、「そもそも」などと、まるで既知の事実のように言ってしまいましたが、「初めにお支払いいただく」は失礼でしょうか。こちらも、別に失礼とは感じないという人が一定割合いるかもしれませんね。

 

その前に、「初めにお支払いいただく」では文章として中途半端ですね。独立した文章として考えるために、「初めにお支払いいただきます。」としましょうか。

 

何かの代金の前払いを求めるシチュエーションにおける、この「初めにお支払いいただきます。」について、「いただく」という言葉の意味を中心に、次回、詳しく説明してまいります。

 

それでは、また。