表題は、敬語講座での受講生の方の言葉です。
「する」の敬語が「させていただく」ではなく、「させてもらう」の受け手尊敬が「させていただく」です。
私が長く勤めていたコールセンターでは、私も含めほとんどの同僚が、同様に「する」の敬語が「させていただく」だと思っていましたが、サービス業とは関係ないその受講生の方から表題の言葉を聞いて、他の業界の方でも同じように勘違いをなさっていらっしゃるんだなと妙に納得してしまいました。
限られた音階から音楽が無限に生まれるように、どのような言葉を選ぶかというのは自由な自己表現です。
例えば「一緒に行く」にも、「一緒に行こう」「一緒に行ってもいい?」「一緒に行きたいな」など様々な表現があります。そこに上司が部下に言う、部下が上司に言う、ご近所さんに言う、妻が夫に言う、など様々なシチュエーションが加わると「君も一緒に行っておいたほうがいいな」「一緒にいらしていただけないでしょうか」「ご一緒にいかがですか」「ねえ、一緒に行きましょうよ」などバリエーションはどんどん広がっていきます。もちろん、敬語の使い方もバリエーションがあります。
一方で「する」という動詞には、主体尊敬の「なさる」や聞き手尊敬の「いたす」もあるのに、これらのもともと用意されている敬語を使わなければ、言葉の選択肢はぐっと狭まってしまいます。
逆に「する」の敬語が「させていただく」なら、「させてもらう」と言いたいときにはどんな敬語を使えばよいのでしょう。
「させていただく」を「する」のつもりで使ったとしても、表現の自由と言ってしまえばそれまですが、それが無自覚であれば、敬語になった途端に言葉と気持ちが乖離していることになります。言葉では「させていただく」と言っておきながら「する」という意味しか持っていない。「する」という意味しか持っていないからシチュエーションに関わらず同じ表現を使ってしまう。どんなシチュエーションでも同じ言葉を使っているから、シチュエーションが異なっていることにも無自覚になってしまう。こんな悪循環が始まってしまいます。
では、どのようなときに「させていただく」を使えばいいのか。
①相手から許可をもらったとき
何かを行ってよいかを確認して、相手から許可をもらったときに
「ありがとうございます。では~させていただきます」などと使う。
②その行為をすることで、かえって相手が引け目や負い目を感じることがないように、配慮を伝えたいとき
誰もが嫌がる仕事があったときに「私がやらせていただきます」と
率先して言うなど。
※単に「やります」とだけ言ったのでは、「私だって嫌なことなんだから、
きっと嫌だけれど皆のことを考えて引き受けてくれたんだ」と相手に
引け目を感じさせてしまう。このような場合に、”私は喜んでやるのであって
その仕事を恩恵だと思っていますよ”というメッセージを伝えると、
相手は素直に感謝して受け入れることができる
これら二つのシチュエーションで使うのが基本です。
「いただく」が適切に使いこなせれば敬語上級者です。
「いただく」という言葉を無意識に使ってしまったら、今の使い方は適切だっただろうかと少し振り返ってみてください。
それでは、また。