例えばクレームを受けたとき、相手の人に一瞬で敬意が伝わりこちらを信頼してくれるようになるような魔法の言葉があったらいいのになと思うことはありませんか?
私は敬語を、敬意を伝え人間関係を見える化するビジネスツールとして教えています。事実に即した現状認識と適切な配慮を、適切な言葉で表現するということです。
ですから、個別に状況を詳しく伺えば、参考になりそうな言い方をお伝えすることはできます。
しかし、ルールや方針、やってはいけないことは教えられても、こう言いなさいとは教えられません。「こう言っておけばいい」という言葉は、それがいかに正しい文法であろうとも敬意を伴わない似非敬語にしかならないからです。
■配慮はマニュアルにできない ⇔ マニュアルに従った動作を配慮とは言わない
配慮はマニュアルにはできません。その場その場の状況を踏まえ、相手の心情やニーズやこちら側のできることできないことなど、いろいろなことを考えたうえで相手のための言葉を紡ぎだすのです。結果として同じ言葉を使うことがよくあったとしても、です。AとBとCの条件がそろったときにはDと言うなどのマニュアルに従って言い放たれたDは、たとえ文法的にいくら正しい敬語であったとしても、指示どおりの仕事をこなしているにすぎません。
スターバックスでは、接客にマニュアルはないと聞きます。パートナー(スターバックスで働く人)は自発的に考え、行動し、お客様がどう感じたかを重視するのだそうです。(『感動経験でお客様の心をギュッとつかむ!スターバックスの教え』目黒勝道)
星野リゾートの星野社長も(接客には限りませんが)「星野リゾートでは基本的に社員教育をしていません。」「私が提供しているのは、スタッフが自分で発想・判断し、行動する領域をできるだけ広く設定する環境です。」と言っています。(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/45973)
私が長年働いたコールセンターでは、コールセンターの対応が悪くてクレームになることがあります。そのようなクレームの上位を占めるのが、「紋切り型の言い方をされた」「〇〇と言えばいいと思っている」「マニュアル通りの対応しかしない」というようなものです。
■配慮とは、相手に思いを寄せ、心を砕き、それを言葉や行動で表すこと
引き続きコールセンターを例に挙げれば、人は望む商品がなかったり、サイズが合わなかったからと言って心底怒ることはあまりありません。
しかし、当然払われるべき配慮が払われなかったとき、人は傷つき、怒ります。
マニュアル通りに行動するとき、その人が見ているのはマニュアルです。マニュアルを見ていては、申し訳ないという気持ちやありがたいという気持ち、迷惑はかからなかっただろうかと心配する気持ちにはなりません。そこに客はいません。それは、お客様から見れば、無視されているのと同じです。
「申し訳ございません」とマニュアルどおりに言うとき、気持ちが伴っていないならそれは嘘です。嘘と感じた人は、著しくをバカにされたと解釈するでしょう。
そこで、「こんな人とこれ以上話したくない」と思えば電話を切り、「こんなのはおかしい」と思えばクレームに発展します。クレームにならず電話を切ったお客様は、もう「この会社の商品を使うのはやめよう」と心に決めてしまったかもしれません。
■配慮は労力を要する
こういうときはこうすればよい、と決まっていることをやるのは、覚えてしまいさえすれば楽かもしれません。それに比べて都度考えて言葉を選び、行動するのは面倒です。
マニュアルに従っているだけなら自分に責任はありませんが、自分が決めたことなら自分の責任になります。AIの自動応答ならもともと責任を求めることはできないでしょう。その人の責任において対応するから、人が対応する意味が生まれます。
■楽をしようとするのは敬意と相容れない
敬語でも手間がかかる言葉のほうが敬度が高くなります。
「待たれる」よりも「お待ちになっていらっしゃる」のほうが敬度が高いのは、「待たれる」という受身形よりも「お待ちになる」という付加形のほうが難易度が高く、「お待ちになっていらっしゃる」と言葉数が増えることでも単純に手間が増えています。
それでも、では常に「お待ちになっていらっしゃる」と言えばいんでしょ、とその場その場の関係性を見て、相手に対しできることはないかと心を砕くという基本をやめてしまったら、「言葉は長ったらしくてもいいです。いちいち相手のこと考えるとかよりましですから」と言われているのと同じになってしまいます。
どう頑張ってみても、楽をしようとする態度と敬意は相容れないのです。
■自分の配慮に向けられたお礼は嬉しい
自分の配慮が相手に伝わったときにもらえるお礼はとても嬉しいものです。
そして、そのようなカスタマーエクスペリエンスをしたお客様はその企業のファンになってくださるかもしれません。
敬語をきっかけに、配慮を考えてくださる方が増えればと思います。
それでは、また。