サイコパスと敬語

サイコパスと言っても、私は精神科医ではないので、診断名としてのサイコパスを正確に使えるわけではありません。

今回私がテーマに掲げたサイコパスは、人当たりがよく、周囲からいい人だと思われたり人気者だったりするけれど実はかなり危険な人物という意味で捉えてください。

 

■フェリスはある朝突然に

これぞサイコパスだと私が思った典型的な例が「フェリスはある朝突然に」という映画の主人公であるフェリスです。

彼は学校をずる休みするために、まず体調が悪いと親をだまします。それを下手な演技だと見抜く妹の発言の価値を、僕に当たっているだけだと言って引き下げます。フェリスの親は、親にすがるフェリスの愛らしさに心を奪われ、見事に妹の発言は骨抜きにされます。

一つ部屋の中で、親にはつらそうな表情を見せ、親が妹を見ている間に妹にはウィンクしてみせます。そして妹のムっとした表情を見て満足した後は、また平気でつらそうな表情に戻ります。それは親から見れば兄の苦しそうな様子を見ても同情の素振りすら見せない非情な娘に見えます。妹は親の兄に対する態度と自分への態度の差に傷つきますがフェリスはそれを分かったうえで、一切気にとがめることはありません。

 

学友も親と同じで、フェリスは学校でも人気者です。彼の恐れを知らぬ大胆な行動は、あこがれの対象にすらなります。

 

そこで、以降今回のブログでは、サイコパスという代わりに「フェリス」という言葉を使うことにしましょう。

 

 

■自分観、他人観、世界観

フェリスは雑談も得意でどんな人にも物怖じすることがありません。

コミュ障の人が、人と話すのが不安で雑談もできないのと対照的です。

 

フェリスは自分のしたいことが明確で、人はそれを叶えるための道具のようです。

人が自分のことをどう思っていようが意に介することはありません。そもそも自分を理解してもらいたいという欲求がないように見えます。

 

おそらくフェリスはこのように考えているのではないでしょうか。

 

【自分観】自分は特別だ。(人より優れている)

 

【世界観】この世界は人で構成されている。この”人”を思い通りに動かすルールさえ見つければ、この世界で生きていくのはたやすいことだ

 

【他人観】人を動かすには弱みを握るか、欲しいものをちらつかせるか、俺がさせたい行動をやることが正しいと納得させるかだ。そいつの弱み、欲しいものが何か、俺のさせたい行動の邪魔をしている考え方が何かを知るためにはそいつの本心を引き出せればいい。そのためにはまずは自尊心を高めることだ。そうすれば、すぐ心を開く。なんでも言うことを聞くような弱みがあれば最高だ。欲しいものについても、本当に与える必要はない。俺に従えば自分の欲しいものが手に入ると思わせればそれでいい。俺がさせたいことがどれほどそいつの考え方と合っていなくても、なぜ合っていないのかさえ把握することができれば、そんなもの言葉一つで納得させられる。それが実際にはどんな理不尽なことでも、納得さえすればそのように動くんだから、人はなんて便利な道具だろう。まあ、そいつの能力でできないことがあるのは仕方がない。そんなときも自尊心をくすぐっておいて、とりあえず使い道が見つかるまでは俺のそばにキープしておくのが得策だ。

 

さて、フェリスは暴力的でもなければ冷酷無比でもありません。

 

ただ、人間が犬に吠えられたからといって自分は価値のない人間だとは思わないのと同じで、妹に嫌われたからといって彼の自尊心には何の影響も与えないだけです。

畜産家が何年も手塩にかけて育てた家畜を肉にするとき、鳴き声を聞いて取りやめることのないように、親友の父親の車を使いたいと思ったなら、いくら親友が嫌がろうともその車を使うことだけを考えます。

そして、心から謝罪することは決してありませんが、相手をそばにキープするために謝罪が一番簡単な方法であれば、いくらでも心を込めて謝罪します。そのような謝罪は、例え土下座をしてみせようとも飼っている動物に小便をひっかけられた程度のことで、彼の自尊心には何の影響もありません。

 

■こんな人が会社にいたら……

この映画は学校をさぼるというだけのコメディ映画なので、一般の評価としては痛快な青春映画にすぎませんが、実際にこういう人が会社にいたらどうなるでしょう。

会社をさぼるために嘘をつき、それを疑っているのが上司1人だけで、あとは全員彼の言うことを信じているとしたら。彼は上司だけに分かるように上司をバカにして自分の喜ぶさまを見せつけるでしょう。

次には別の人がターゲットになるかもしれません。そのときには上司にそのときのことをまるで心を入れ替えたように謝罪し仲良くなっているか、それができない場合には、その上司が会社を辞めざるを得ないように仕向けることでしょう。そのときには、「かわいそうにな、俺が手を差し伸べたときに握り返していれば会社を辞めずに済んだのに」と心を痛めているはずです。

 

フェリスは、周囲の人の心をつかみ取り巻きを多く作ります。その取り巻きも使って、自分にとって都合の悪い人の評価を下げます。もちろんその際には、会社にとって役に立つ人かどうかに興味はなく、その人にとって役に立つかどうかで周囲の人を操作します。

目上目下も関係ありません。ほかの人への影響力を持つ目上の人の自尊心を高めて心を開かせることができるなら、何の遠慮もないでしょう。

 

自律した道徳心はなく、得られる利益と損失のどちらが大きいか、その損失を避ける方法はあるか否かという計算に基づいて行動を判断します

 

何か失敗があり、巧妙に人の責任にできるならそのようにするでしょうが、できない場合は潔く謝罪するでしょう。謝罪するのが一番効率的だと自分で判断した上での謝罪なので、逡巡もなく、謝罪されたほうからすれば、ここまできちんと謝罪するなら自分の犯したことの重大さを分かっているんだろうと考えたくなります。

 

特に問題がない限りほったらかしになっていて、実際のところ何をやっているのか上司が知らないというような部署はフェリスの大好きな場所です。

 

部署内のメンバーには一人一人近づき、自分に心を開き意のままになる人たちをまとめます。そのための手間は惜しみません。一方で上司にも近づき、自分からの情報が部署内の現状だと思わせることができれば、あとは思いのままです。

気付いたときには、彼の持つ影響力はかなり大きくなっています。

 

周囲の人は、何も気づかないまま彼に振り回されているかもしれません。

 

■フェリスへの対策

このようなフェリスへの対策を思いつくままに幾つか挙げてみます。

1)会社の方針や価値観が明確であり、共有されていること

  フェリスのような人は、複数の人の前では調子のよい人気者でいて、

  彼にとって大事なやり取りは一人一人と行うことになります。

  その人の本心を引き出し、その心を操作するのは、複数とはできない

  からです。

  そのとき、その一人一人に、会社の方針や価値観が落とし込まれて

  いることが抑止力になります。

 

2)業務の状況が上から下、下から上、双方向に伝わっていること

  上司が報告書しか見ないのであれば異変に気付きづらくなります。

  フェリスのような人は業務上の面談のような記録に残るものではなく、

  雑談のような場面を好みます。記録に残ると、あちらへ言ったことと、

  こちらに言ったことの齟齬が分かってしまうからです。

  記録を残し、情報の風通しが良い仕組みが大切です。

 

3)それぞれの責任範囲が明確で、飛び越したりはみ出たりしらすぐに分かること

  責任範囲も何とか自分に都合のいいように解釈しようとします。

  ※本来は、フェラーリを貸すかどうかは自分が決めることであって、

   フェリスを納得させる必要はないのだが、いつの間にかフェリスを

   諦めさせることができなければフェラーリを貸さなければならない

   ことにずらされている。

  責任範囲をいじることができなければ、自分が欲しい責任範囲(権限)の

  人を取り込もうとします。

  そこで、各自が自身の責任範囲を明確に意識しているとともに、自身の

  責任範囲については自身で決める責任意識を持っていることが大切です。

 

4)マニュアルがあり、それにのっとった行動が徹底されていること

   明文化されていないほうが、その都度自分の都合のよいように操作できる

  範囲が広がるので、フェリスのような人にとっては好ましいのです。

 

 

5)上記が守られているか、チェック機能が働いていること

  いくらルールがあっても、それに反したときにバレない、ということは、

  フェリスのような人にとっては”自由にやっていい”と言われているのと

  同じことです。

 

■敬語の効用

さて、ここまで長々と書いてきたのは、もちろん敬語がフェリスへの対策として役立つと考えているからです。

 

フェリスのような人は敬語を嫌います

まず、相手が自分に敬語を使っていると、本心を掴みづらくなるからです。

 

1)として、本心を引き出そうとしたときに会社の方針や価値観が共有されているかが大切であると述べましたが、それは、会社にいる間は、社員としての自覚を持っているということです。フェリスのような人は本心を把握することができなければ、操作できないのです。そのためには広い意味での敬意表現を含む敬語が重要です。

 

例えばフェリスの親友は父親のフェラーリを貸すようフェリスに要求され、いかに父親が大切にしているかを説明して嫌だと断ります。しかし、本心を言っている限り、「それよりも大切なことがある」とか、「大切にしていても問題ない(傷つけたりしないから)」と言えば論破ができるのです。

 

もし親友がこのとき、「借りたいという気持ちは分かるけれど、申し訳ないが貸すことはできないんだ」と敬意表現を使えば、断ることができたはずです。

「いや、そういわずに貸してくれ」と言われれば「申し訳ない」と言えば済むことですし、「なぜだい?理由を教えてくれよ」と言われたら、「いや、ウチの問題だから君には関係ないことなんだ」と言えば済む話です。

 

2)では、上下双方向ではなく、雑談のようなわき道にそれた場所を好むと書きました。敬語を使わない雑談の場を借りることで、責任の発生しない状況で相手に影響を及ぼそうとします。親しき中にも礼儀ありと言いますが、休憩中や雑談であっても一定の距離は必要であり、敬語がその距離を取ってくれます

 

次に敬語を使うことで上下関係が明確に意識されることを嫌うからです。

3)で書いた、自分が欲しい責任範囲(権限)の人を取り込もうとしたときに、自分が部下の立場のままでは相手に言うことを聞かせるのは難しいので、自尊心をあおりつつも友達のような立ち位置につこうとします。(話の舞台はやはり雑談がメインになります)

そのためにも敬語は邪魔なのです。逆を言えば、どのような状況でも上司に敬語を使わないのはおかしい、という社風であれば、抑止力になり得ます

 

敬称、敬語をやめよう、という会社も出てきている中で、流れに逆行する提案かもしれませんが、ビジネスに敬語は重要であると思います。

 

それでは、また。