本日は、敬語の本をご紹介します。
荒木 博之 先生の『敬語のジャパノロジー』(創拓社)です。
この本では、敬語の語源なども説明されています。日本人が、敬意というものをどのように捉えていたか、それが現代にもどう生かされているかが分かり、とても面白い本なので、ご興味のある方はぜひお読みください。
ここでは、とても共感した言葉がありますので、その言葉をご紹介します。
私の敬語論は、言語的(verbal)な敬語行動だけではなく、
非言語的(non-verbal)な敬語行動も視野のなかにとり入れる
「敬語行動論」とでもいうべきものになるはずである。(p.30)
敬語とは敬意を言葉で表すものです。
しかしながら敬語というと、正しいか間違っているか、じゃあどう言えばいいのか、意味が伝わればいいんじゃないのか、というような表層的な部分でしか関心を持たれていないケースが非常に多いように感じています。
例えば、とある男性が特定の女性に「愛してます」と言ったなら、その言葉のもとになる気持ちが表情や行動や様々なものからも伝わってはじめてその言葉を信じることができるはずです。
同様に、敬語を使うなら、それは、単に文法的に正しい敬語を使うことが目的ではなく、自分の敬意を相手に伝えることが目的であり、その敬意は言葉だけでなく、態度や行動に一貫して表れていなければならないはずなのです。その敬意を適切に表すために、主体尊敬があり、受け手尊敬があり、聞き手尊敬があります。なぜ「お~になる」が主体を尊敬することになるのか、「お~する」が受け手を立てるとはどういうことなのか、それをいったん理解したなら、立てるべき相手に対して「どうぞ、よろしかったらご参加してください」などとは言えなくなります。文法が、単なる文法でなく意味を持つからです。
ぜひ、敬語を通して、日本文化に根付いている敬意を再認識してもらいたいと思っております。それは過去の遺物ではなく、現代のビジネスにおいても非常に有効なものです。
それでは、また。
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