実際の人間関係よりも下に表現する「軽卑語」

年末に告知したワークショップが1月18日に開催されました。

ご参加くださった皆さま、本当にありがとうございました。

 

その中で、ひとつ、説明しきれなかった点があるため、このブログにて補足をさせていただきたいと思います。それは、「どんなことをされたときに失礼だと感じるか」という投げかけに対して挙がった「実際の人間関係よりも下に表現されたとき」という回答に対する説明です。

 

実際の人間関係よりも下に見られれば、多くの人が憤りを感じると思います。

では、それを敬語の視点から説明すると、一体どういうことなのでしょうか。

 

■組織内の表現か、組織外の表現か

例えば、「てめえ」「貴様」「馬鹿やろー」など、人を下に見る言葉はいくらもあります。これらを軽卑語(軽卑表現)といいます。

 

それが、例えば車を制限速度内で安全運転しているときに、後ろから来た車が追い越しざまに「馬鹿やろー!」と言ってきた場合、そんなことを言われる筋合いはわずかなりともありません。きっとそんなことを言われたら腹が立つでしょう。しかし一方で多くの人は、「ああ、あんな人が身近にいなくてよかった」と思って忘れてしまうのではないでしょうか。

 

問題は、関係が続く、それも上下関係が大切な意味を持つ組織内でそのようなことが行われた場合です。

 

■上司から、実際の人間関係よりも下に表現された場合

仕事をしていれば、上司から叱られることはよくあることと思います。けれど、その叱り方に差があり、自分がミスをしたときだけ人よりも強い言葉を使われたとしたらどうでしょう。

 

例えば上司と先輩と後輩がいたとして、後輩が居るときに上司が先輩に対して 

  「貴様、何度同じミスをしたら気が済むんだ!

   馬鹿か!?病院行って診てもらえ!」

と罵倒したとしたら、この先輩は、以降後輩に対して、必要な指導や指示がしづらくなるかもしれません。後輩も先輩をバカにするようになるかもしれません。

 

上司にしてみたら、ただ単に、繰り返されるミスにあきれ果てて言っただけで、そんなことまで意図したわけではないかもしれません。しかし、意図があったかどうかにかかわらず、表現されたものは相手に伝わってしまいます。

 

軽卑語を使わなくても、実際の人間関係よりも下に表現することはできます。

 

  「あなたみたいな人が未だに会社に居るなんて、

   上はいったい何を考えてるんだろうね。

   あ、後輩くん、悪いけど、君の先輩がやった仕事、やり直して、

   どこが間違っていたか先輩に教えてあげておいてくれないか。」

 

と言ったとしましょう。

 

この場合、「つい」、「かっとなって」、というような言い訳がきかない分、このような言葉を聞かされた側に与える影響は軽卑語よりも大きいかもしれません。

 

■敬語は人間関係を見える化する

敬語は(もしくは、敬語を使うことが当然期待される場面であえて敬語を使わないことは)”人間関係を見える化”します。もっと言えば、聞き手に対して、表現された人間関係を押し付けます。

 

二つ目の例で言えば、嫌みで相手を傷つけるのみならず、上司の人事判断を受け入れず疑問を呈するという点でも組織を崩し、先輩の仕事を後輩にやり直させるという行動を取ることでも、先輩より後輩を上に置いて見せたわけです。後輩にしてみたら、先輩を下に見れば組織としての指示体系が狂い、先輩を上に見れば上司に逆らうことになってしまいます。

 

■社内で統一された敬意を表す敬語を

当然ながら、目上に対しては際限なく上に見るわけでも、目下であればどこまでも下に見てよいわけでもありません。

会社が健全に機能するためには、このような状況は決して望ましくはないはずです。本来は敬度(敬意の度合い)に合わせて敬語を使い分け、その場の人間関係を正しく表現しなければなりません。そうでないと、上記の例のように人事権の無い人が、実際の人間関係を変えてしまっていることにもなりかねないからです。しかし、そうは言っても敬語を知らなくては、それを自覚することすらままなりません。

 

上司だからといって、部下には何でも言ってよいわけではありません。

もちろん、部下だからと言って何でも言ってよいはずもありません。

 

誰にどこまでのことを言うのが業務範囲で、どこからが越権行為なのか、敬語はその責任範囲を自分にも周囲にも、常に明らかにしておく力があります

 

どのような上下関係を作りたいのかは、会社ごとに異なるはず。なんとなく現場任せにしておくのではなく、あるべき上下関係を会社が決め、それに則った共通言語としての敬語を導入してほしいと思います。

 

それは、本来の筋を曲げて自分に都合のよい人間関係を作ろうとする人には障害になり、組織の目指す方向に自分を合わせようとする人には明確な指針になるはずです。敬語は、組織内において、あるべき人間関係を常に思い起こさせるために使われるものです。

 

それでは、また。

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