「素直」について~前編

新年度が始まりました。

社会人1年生は多少の緊張を抱えながら、新しい会社、新しい職場での生活が始まります。また、人事異動などで職場が変わったという方も多い時期かと思います。

 

さて、新人に求められることの一つが「素直」な態度ですが、職場ですれ違いの多い言葉の一つが、この「素直」ではないでしょうか。

今回は、この「素直」について取り上げます。

 

「なぜ人の言うことを素直に聞かないんだ!」と怒る上司と、

「素直に思ったことを言っただけなのに怒り出すなんて、不思議な上司だな」と訝る部下。

 これではコミュニケーションが成立していません。

 

「素直」という言葉自体はもちろん敬語ではありませんが、職場のような上下関係の中で使われるのであれば、敬語の考え方が役に立ちます。敬語の考え方とは①誰を立てるのかを考える ②相手を自然現象のように受け入れる ③距離を取る の3つです。「素直」という言葉の意味を取り違えると、敬意が無いと勘違いされてしまうかもしれませんので、一度説明をしておきたいと思います。

 

■辞書では

「素直」をインターネットで検索してみました。

性格や態度についての説明としては、

 ーーー 穏やかでひねくれていないさま。従順。(デジタル大辞泉)

と書かれていました。

 

この「穏やかでひねくれていない」と「従順」が一つの言葉に含められているところが、この言葉の難しいところです。

 

例えば、常々やりたくないと思っていたことがあったとして、会社に入ったら、まさにそれをやるように指示を受けたとします。その新人は「従順」であるべきと考え、仕方なくその仕事をやったとしましょう。

それでも、その新人は「こんなことを会社でやらされるとは思ってもいなかった。他にも新人はいるのに、なぜ自分にやらせたんだ、あの上司め!」と愚痴を言いたくなるような想いが、自然と湧き起こってしまうのを自分でもどうしようもないかもしれません。

 

この状態は本人にとって「穏やかでひねくれていない」からはほど遠いものです。はっきり言って穏やかどころか、心の中は荒波が立っていて、とてもひねくれた気持ちになっています。

もし「穏やかでひねくれていない」状態を保つべきと思ったらこう言うしかありません。

「すいません、そういった仕事はやりたくないんで。」

 

上司の指示には従うべきという社会規範を忘れ、何も気にせず堂々と自分の気持ちに正直に伝えることができたら、きっと「穏やかでひねくれていない」状態でいることができます。

 

このように本来は「素直」という言葉一つであるにも関わらず穏やかでひねくれていない」と「従順」が、同じ状況において真逆の行為を指す場合もあるのです。これが、「素直」の難しいところです。

しかしそれは、誰から見て「素直」なのか、という視点が、辞書に書かれていないからです。

 

さて、ここからは敬語の考え方を使って「素直」を見ていきましょう。

■①誰を立てるのか

敬語で最も大切なことは、誰を立てるのかを常に意識することです。

 

例えば、「この書類をお持ちします」という文章だけを見れば何の問題もありません。しかし、この書類が家に持ち帰るものであり、この言葉を上司に向かって言っているとしたら、どうでしょう。これでは、上司よりも家族を立てる言い方になってしまっています。

 

その状況での正しい言い方としては、「この書類を家に持ち帰り、明日には記入したうえで提出いたします」などが考えられます。このように言えば、家(家族)を立てずに提出先の上司を立てる言い方になります。

 

それでは、同じように「素直」という言葉を考えるとき、「素直」であることで立てる(=尊重する)相手とは誰でしょう。このように問いを立てるだけで、正しい答えが見えてきた読者も多いのではないでしょうか。そうです、上司(指示する側)です。何に対して「素直」であるべきなのかと言えば、上司(の指示)に対して「素直」であるべきなのです。 

 

この視点が抜け、一方は上司である”自分の指示”に対して「素直」に相手(部下)が従うことを期待し、一方は相手(上司)に対して、部下である”自分の心”が「素直」に表出されたことを受け入れてくれることを期待しているから、同じ言葉を使っていてもお互いに「相手がおかしい」と感じてしまうことになるのです。

 

■②敬語では、相手を自然現象のように受け入れる

次に、敬語では、立てる(=尊重する)相手を、自然現象のように捉え、受け入れます。

雨が降れば傘をさす。ここに、とてつもない葛藤を感じる人はいないはずです。しかし、「傘をさせ!」と上司に言われると、心穏やかでいられなくなります。上司が見ている雨が自分にも見えていればいいのですが、自分には快晴にしか見えない場合には尚更です。「なぜ雨も降っていないのに傘をささなきゃならないんだ。周りの誰もさしてないじゃないか……」これでは自分の心の中だけ嵐が渦巻いています。

 

ある上司が出した指示を、別の上司だったら指示しないかといえば、実際にはそんなことはなかったりします。多少は人によって異なる範囲もあるでしょうが、実のところ目的は同じだったりします。やらせる内容やその目指すところが上司によって全く違っていたら、その組織は崩壊してしまいますよね。

 

敬語の考え方を職場に応用すれば、上司の指示を自然現象のように受け入れるということになります。「傘をさせ」という指示があったなら、自分には雨が見えなくても、今は傘をさす状況なのだと理解して、傘をさします。批判したり、否定したり、まして無視するということはしません。

 

■ケース紹介

私の今までの経験から、「素直」の例をご紹介します。

以前私が働いていたコールセンターでは、顔が見えない分、声で笑顔を伝えなければいけないので、普段よりも笑顔を強調しなければなりません。そこへ、とても男らしい不愛想な男性が入社してきました。彼に「サービス業なので電話応対時は笑ってください」と伝えたところ、新人の彼は顔を真っ赤にして「恥ずかしい、恥ずかしい」と連呼しながらも精一杯の笑顔でお客さまに対応していました。”恥ずかしいからやりたくない”ということはもちろん口にしませんでしたし、態度からも感じられませんでした。

普段笑わない人にとっては笑顔を作ることはハードルが高く、「そんなこと言われたって……」とやり方を変えられない人が多い中で、彼は自分の恥ずかしいという気持ちはそのままに、自分の行動を指示に沿わせることができる人でした。もちろん、ほどなく彼はリーダーになりました。

 

恥ずかしいからやらない、のか、恥ずかしいけどそれは自分の気持ちに過ぎないと考えることができて指示だからやる、のか、この違いは、能力の差ではなく、自分の気持ちと上司の指示との、どちらを尊重するのかという選択の違いです。従いやすい指示には従うけれども、従いたくない指示には従わないのでは、上下関係を受け入れているとは言いづらいでしょう。

 

しかし、実際のところ、「それは自分の気持ちに過ぎない」と考えることは難しいことです。それでは、従いたくないという穏やかならざる胸の内を抑え込んで嫌々仕事をすべきなのでしょうか。それにはもう一つ、敬語に距離を取るという考え方があります。

これについては、次週、ご説明いたします。

 

それでは、また。

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