前回のブログでは、上司と呼ばれる人たちの共通して負う責任について見てきました。今回はその続きです。
「①ライン上の情報を滞りなく上下に流す」「②組織が期待する成果を出す」
「③部下を育成する」のうち、②と③について考えます。
③の育成には、叱るという行為も含まれますが、パワハラと叱るはどのように違うのでしょうか。そんなことも考えていきます。
■②組織が期待する成果を出す
組織が期待する成果を出すためには、上からの情報が実行者である下流にも適切に共有されていて、成果のイメージが上下で一致していることが前提です。
新たな商品や企画を創るという場合にそれが一致していなければ、もとより上が期待するものはできないでしょうし、それが売り上げのような数字で表されるものであったとしたら、数字さえ満たせばあとはなんでもいいとされて、ひどい場合にはコンプライアンスに抵触するような方法が取られるかもしれません。
また、スタート時点で指示を適切に出し目標を共有するだけで上司の責任は終わりません。トラブルは起きてないか、進捗は予定通りか、モチベーションは維持できているかなど、実行期間中を通して、管理をしなければなりません。
同じ管理をするにしても、目標に対する達成率だけを気にする上司と、その目標がいろんな意味で無理なく実現できるかを気にする上司がいたとしたら、どちらの上司のもとで働きたいでしょうか。管理をしっかり行う上司のほうが、報連相もしやすいことでしょう。
部下からの報連相のことを言いましたが、仕事をしていれば、困ったことや想定していなかったことが出てきます。監視では困りますが、相互尊重にもとづく信頼関係が構築されていて、問題が起きたときに上司がなんとかしてくれると思えば、スムーズに相談ができます。もしかして、このまま行くと上司に影響があるかもと思えば報告しようと思います。
自分の責任を進んで果たそうと考えるタイプの上司からすれば、本来は適切に報告や相談をしてくれると思えばこそ、その人に仕事を任せられるのです。
相談をしても「甘えるな!」と突き返されたり、数字が進捗に満たないと怒りをあらわにして何のアドバイスもなかったり。もし、こんな上司だったら、どうでしょう。こんな上司のもとで部下は、本来は自分の権限を超えたことであっても何とか対応するかしれません。しかし、それではもし何かあったとき誰が責任を取るのでしょう。また、有休もとらず休み返上で働いて成果を挙げるかもしれません。しかし年度の後半に有休が集中し、後半の成果が激減してしまうかもしれません。年度の後半でも有休をとらず、そのまま精神的に追い詰められていけば、今度は退職者が続出するかもしれません。それが常態で退職理由にもならなければ、今度は鬱を発症する者や自殺者が出るかもしれません。要するに、無理をさせてその場だけ成果を挙げても、いつかは無理がきかなくなってつぶれてしまいます。組織を存続させることを考えれば、長期的に成果を出し続けられることが重要なはずです。
農業であれば、土づくりをして苗を植える前から手をかけます。生育の具合はどうか、虫に食われていないか、病気にかかっていないかと見守ります。収穫だけを気にする農家はいません。相手が人であればなおさらです。
そのためには、働きやすい環境を整えたり、効率的に働けるような工夫を取り入れるとともに、一人一人の能力を高めるよう部下を育成することが大切です。
■③部下を育成する
教えること、指示すること、褒めること、叱ること。育成という行為自体が、全て目上が目下に行う行為です。
確かに部下は目下かもしれませんが、どこまでも下に見ていいわけではありません。たまたま同じ職場に巡り合わせて自分の下に配属されただけであって、あくまでも仕事上の目上・目下の関係です。
敬語の持つ機能の一つに「距離を取る」というものがあります。相手のプライバシーに踏み込み、距離を近づけるということは相手を傷つけてしまうことができるということですが、逆にプライバシーに配慮し、距離を取ることで相手に脅威を与えず、相手を尊重していることを伝えることができます。
例えば、「荷物、持ったげようか?」と言えば、なれなれしく聞こえます。親しい間柄であれば優しさと受け止められるかもしれませんが、言葉もろくに交わしたことのない人からこのように言われたらどう感じるでしょうか。か弱い女性やお年寄りであれば、突然自分のテリトリーに侵入されて、脅威を感じるかもしれません。そんなときも「お荷物、重そうですね。自分は駅に行くところですが、よろしければ途中までお持ちしましょうか。」と敬語を使って敬意を表現すれば、少しその脅威を和らげることができます。
職場に話を戻すと、目下の人物が目上の人物になれなれしく距離を縮めるのはそもそも失礼ですが、仕事上と限定された目上なのであれば、部下に対していつでも自分の好きなように相手との距離を縮めてよいというわけにはいきません。
「距離を取る」ということを職場にあてはめると、仕事に必要のないことは言わず、仕事と関係ないことは聞かないということになります。
例えば「お前、ほんとに頭悪いな。お前の親も頭悪いのか。」というようなことを気の置けない友人間で言うのであれば、楽しい冗談で済むかもしれません。しかし、仕事上の人間関係であるにも関わらず、業務上言う必要のない話や、仕事と関係ない話をすることは、いかに上司であろうとも許されません。
※雑談で距離を縮める行為は敬語とは別です。互いの趣味のように仕事に関係ないことを温かい関心のもとで共有することは、仕事をスムーズに進める潤滑油になります。
そして、対目上であれば自分よりも上に見ることが敬意になりますが、対目下であったとしても、その立ち位置より下に見ては適切な敬意を持っていない表れになってしまいます。
敬語は、人間関係を表す言葉です。敬語を使わない場面であっても、例えば、先輩を後輩の前で叱りつけるというような、あるべき人間関係を崩す行為は、敬語の考え方に反します。
敬語を使うことだけが敬意ではありません。敬語を使ったとしても、敬意のない行動は相手を傷つけます。上に立つということは、相手を傷つけてよいことではありません。
では、部下が傷ついたと言えば、それは敬意に反する行為とみなされるのでしょうか。もちろんそんなことはありません。この項の最初に述べたように、教えること、指示すること、褒めること、叱ることは育成に必要な行為であり、目上として行わなければならない行為です。
例えば、部下の自尊心を傷つけないように別室に呼び、個人的な価値判断を交えず事実をもとに指導しても部下が傷ついたと言ったなら、上司は自分の上司に相談すべきです。※相談した上司をAとし、Aの上司をBとします。
Bは、Aの指導が間違ったものでなければ、それを当該の部下に伝えなければなりません。単に「教えられること、指示されること、褒められること、叱られること」で傷つくならば、それは部下が正しい人間関係を理解しておらず、自分の立場を受け入れていないということなので、正されるべきは部下の立場認識です。
次に、育成の仕方が下手だという場合もそれを責めるのは部下ではありません。自分が育成した部下を見て、自身がそこから学ぶのはよいことですが、上司としての仕事を行っているのですから、上司Aの仕事の評価ができるのは、さらにその上の上司Bです。もし、Aは部下の指導方法においてまだ教育を受けることが必要な段階であったのに、上司Bが自分のその責任を放棄したなら、Aの下に居る部下は迷惑を被り続けることになります。もし、どうしても耐えられなければ、自らAを責めてしまうかもしれません。しかし、それでは組織が崩れてしまいます。そうならないように、上司Bは上司Aを正しく評価しなければならないのです。
■組織によって上司と部下の役割は異なる
ここまで、多くの組織に共通してあるであろう上司の役割に沿って説明してきましたが、自分の組織には当てはまらないと感じた方もいらっしゃることと思います。
ぜひ、ご自身の組織における上司と部下の役割について明確にしていただきたいと思います。
敬語は、目上を立てます。距離を取って相手に踏み込まず、自分の役割に責任を持ち、目上の責任を問いません。
しかし、そもそも上司の役割や責任、部下としての役割や責任が明確でなければ、いくら敬語を使っても何も明確にはなりません。敬語を使うことは、単なるおべっかと大して変わらなくなってしまいます。
一方で、明確に役割や責任が決まっていれば、敬語は常にそれを思い起こさせるものとして役に立ちます。だからこそ、それぞれの組織の実情に沿った役割と責任を明確にし、それとあわせて敬語を統一するべきなのです。
人間関係が異なれば敬語の使い方は違って然るべきです。
組織内で使われる敬語を見直してみてはいかがでしょうか。
パワハラ防止、報連相をはじめとするコミュニケーションの円滑化、ひいては業務効率化にも役立つと思います。
それでは、また。
※使用した写真は「私たちにお任せください!デキるビジネスパーソン風の男女のフリー素材 」ですhttps://www.pakutaso.com/20140912244post-4510.html