敬語の難しさ~自己表現としての敬語

敬語は難しいと多くの日本人が感じている。

 

もちろん、ひと手間かけて、普通は使わない言葉を用いることで相手に対する敬意を表すのだから、ある程度はやむを得ない。

 

しかし、単に手間をかけることが面倒という問題ではなくどう手間をかけたらよいのか分からないことが問題なのだ。

 

他のマナーは、知っていれば使える。

入口から遠くの席が上座、偉い人と一緒にエレベーターに乗るときは自分がスイッチを操作する、お客さまをご案内するときは斜め前を歩いて誘導する、などなど。何度かうまくできずに失敗することもあるかもしれないが、どうしたらよいのか全く想像もつかないということはない。

 

■敬語の前提条件(=文法)を知らないと使えない

一方で敬語を考えると、謙譲語とはどういうときに使ったらよいか分からない。お客さまや上司に対して使えばよいように思うが、それならば尊敬語は一体いつ使うのだろうか。

 

「お待ちです」より、「お待ちします」のほうが丁寧ではないだろうか。お客さまが検討するかどうかを「検討していただけませんか」と聞くのだから、お客さまが検討することは「お客さまが検討していただく」と言えばよいように思うが、何が問題なのだろうか。敬語が使えない人にとってはそこから分からないのだ。というのも、実際に私がそうだった。

 

もちろん、今ではそれらの答えが分かるようになった。「お待ちです」と「お待ちします」では立てる相手が異なるのであり、どちらが丁寧という問題ではない。「検討していただけませんか」は単に検討するかどうかを質問する言葉でもないしお客さまの行為を「お客さまが~していただく」とは言わない。

 

これらの疑問は、敬語を使うためには文法という前提条件を理解しておかなければならないのに、それを知らないまま使い方だけを考えようとするところから生まれる。

 

これが、他のマナーと異なるところだ。

 

■人によって判断が異なる

では、文法を理解している人であれば”正解”が分かるのだろうか。皆が同じ言葉を使うだろうか。残念ながら、そんなことはない。

同じ花の絵を描いても、人によって描きあがった絵が異なるように、人によって使う敬語が異なる。

マナーとしての上座は誰が見ても上座だが、ある人がふさわしいとする敬語を、ある人はおかしいと言う。文法には精通しているはずの人たちが、真っ向から対立した意見を述べている。

「(~して)いただいてもよろしいですか」を巡る2人の意見を見てほしい。

 

1人目は「(~して)いただいてもよろしいですか」は丁寧だと主張している蒲谷氏だ。~蒲谷 宏(早稲田大学 大学院日本語教育研究科 教授)

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昨今よく使われる「書いていただいてもよろしいですか」という言い方。これは「書いていただけますか」と『依頼』するところを、「いただいてもよろしいですか」と表現することによって、『相手に許可を求める』形に変えたものだ。敬語には、自分が行動するような表現の方が丁寧になるという性質がある。相手を動かすのではなく、相手に「決定権」を与え、自分が行動してよいか求めることによって、より丁寧にしようとしているのだ。

※早稲田大学の以下のサイトより抜粋

研究最前線「待遇コミュニケーション」

 ~大人のコミュニケーションに必要なものとは?~

 https://www.waseda.jp/student/weekly/contents/2006b/105e.html

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このように述べる蒲谷氏は「(~して)いただいてもよろしいですか」という言い方を「『変な表現だ』という人もい」ると認めている。

 

それでは、『変な表現だ』という人の一人であろう野口恵子氏(日本語・フランス語教師)の意見を見てほしい。

野口氏は「~してもらってもいいですか/いただいてもよろしいでしょうか」という言葉遣いが蔓延していることを「不思議な現象だ」と訝る

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「~してもらってもいいですか」を「~してください」の意味で使う人が増えたせいで、前後関係を把握しておかないと、誤解が生じる恐れも出てきた。従来、「~してもらってもいいですか」は、「第三者が~することをあなたは許可するか」と言いたいときに使う表現であった。(~中略~)このごろは相手の行為を促すのにも使われるため、紛らわしくなったのだ。

 

『失礼な敬語 誤用例から学ぶ、正しい使い方』野口恵子 光文社新書p.27

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2人とも、外国人にも日本人にも敬語を教え、また敬語の本を何冊も著している先生だが、主張は相反する。詳しくはそれぞれの主張を直接読んでいただきたいが、「~していただいてもよろしいですか」は丁寧だが分かりづらく、他の言い方なら分かりやすいが丁寧さに欠けるというような使い分けの問題ではないのだ。

 

■「自己表現」としての敬語使用

平成19年の「敬語の指針」では、「敬語の使用は、飽くまでも「自己表現」であるべき」(p.7)とされていて、ただ、「敬語の明らかな誤用や過不足は避けることを心掛ける」(同)とある。

しかし、「明らかな」と言っても明確な指針にはなり得ない。おそらく野口氏にとっては、自分と相手との2人しかいない状況で目の前の人に「書いていただいてもよろしいですか」と聞くことは”明らかにおかしい”のであろう。(そう感じているからこそ書籍に書いたのだろうから。)一方で、蒲谷氏はこれこそが配慮ある敬語の使い方だと思っている。そして、敬語の指針は、どちらが正しいという正解は示さない。

 

■専門家同士で意見が割れているものを、一般人はどうすればよいのか

会社に入ったばかりの人が、敬語の本を手に取ったとしよう。もっと勉強しようともう一冊を手に取ったら、先に読んだ本と、逆のことが書いてあるのだ。この人は、一体どうすればよいのだろう。

残念ながら、最初に述べたとおり、文法を理解したうえで、それぞれの先生方と同じく自己表現として自分なりに敬語を使わなければならない

 

私は、それができるよう、つまり、ビジネスにふさわしい敬語を、そして自分なりの配慮を自分の言葉として使えるようになるところまでを伝えたいと思って敬語講座を続けている。

 

■配慮にマニュアルはない

マニュアルどおりに行われるものは、マナーとは呼べるかもしれないが、配慮ではない。その場その時の状況に応じて相手に良かれとその人なりに判断したことを行うから配慮なのだ。

敬語も同じだ。決まり文句は数多くあるが、覚えるだけでは使えない。覚えた言葉を繰り返しているだけであれば相手が配慮を感じることはないだろう。ふさわしい言葉を、ピッタリの状況とピッタリのタイミングで繰り出すからその人の配慮が伝わる。

 

たった7つの音から無限の音楽が生まれるように、シンプルな敬語のルールを使って、今、ここにおける、相手の存在を感じたときに湧き起こる自分の気持ちを言葉にしてほしい。「今、まさに私のための言葉を紡いでくれた」、そう感じてもらえるような言葉は美しい音楽のように相手の心に響くだろう。

 

それでは、また。

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