■ありのままの自分
以前、「アナと雪の女王」というディズニー映画の主題歌がはやりました。
当時は「ありのままの自分」という歌詞を何度も何度も耳にしました。今でも時々流れていますね。ありのままの自分で生きられたなら、周囲に気を遣わず、ストレスフリーで生きられてとても幸せそうな気がします。多くの人がありのままの自分を生きたいと願っているのではないでしょうか。
ただし、「自分を好きになって」「自分を信じ」ることは良いことですが、それと、自分が思っていることを何の配慮もなく口にし行動するのは別の話です。
(https://www.uta-net.com/movie/163665/)
■本音と建て前
自分が思っていることを何の配慮もなく口にしたら、それは「本音」です。対となる言葉は「建て前」です。
建て前というと、本当はただの嘘なのにそれをきれいに言い換えただけの言葉のようで、あまり良い印象はないかもしれません。しかし、建て前はただの嘘ではありません。
「建て前」とは、社会の一員として生きていくことを受け入れ、自分が所属する共同体の目標と自分の目標をすり合わせながら前向きに行動していくことを選択した宣言です。
敬語は、この建て前を大事にしますので、「建て前」という考え方を理解してもらいたいというのが今回のブログの主旨です。
今回は、家庭内の虐待と職場でのパワハラとを取り上げながら、ありのままの自分をさらけ出す本音と、社会の中で生きていく建て前について考えます。
■場に合わせる自分
さて、次はある本からの引用です。
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「ここでは皆平等なのだから、気持ちを率直に表してほしい。だから自分の感じたことを正直に言うこと。特に何か遠慮があったり、おかしいと思えることがあったら、腹蔵なく伝えてほしい」という話をしながら、姿勢、表情、それに声の調子で、その部長は、新入社員に対して、自分が支配的な立場にあるという意識を持っていることをちらつかせるのである。
この新人は、その上司の言動を批判しない方が賢明だと感じ取るのである。
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この話を読んで、なんと日本的な古い体制だろう、と感じた人も多いのではないでしょうか。
しかしこれは、 アメリカの心理学者アルバート・マレービアンが書いた『非言語コミュニケーション』という本からの抜粋です。(P.104~105)
場に合わせて自分の言動を調整するのは、別に日本に限ったことではありません。
引用の上司が素晴らしいとは言いませんが、どのような上司であれ上司を立てたり、そのために言いたいことを控えるのも、別に日本に限ったことではありません。
■ありのままの自分をさらけ出すと…
本心をそのまま口にし行動にすることの危険性を、公認心理士・臨床心理士である信田さよ子は以下のように書いています。ビジネス書ではなく、虐待する親に向けて子どもが書いた手紙を集めた本の解説部分ではありますが、読んでみてください。
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私はこの「ありのまま」が大嫌いだ。なぜそれほど「ありのまま」がすばらしいのか。手紙に登場する親たちは子どもにだけ「ありのままの姿」をさらしている。つらい、苦しいという感情を、子どもにだけは包み隠さず吐き出し続ける。不安や怒り、時にはうっぷんも最終的な受け手の子どもに向かって注ぎ込まれる。そんな「ありのまま」の親の姿は、まるで動物のようだ。動物=人間ではないとすれば、親たちの言動はおよそ人間のすることではない、そう思わされる。
『日本一醜い親への手紙 そんな親なら捨てちゃえば?』P.249(編著者Create Media)
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どんな子どもも、最初はありのままをさらけ出すことしか知りません。お腹が空いた、オムツが濡れたなど、周囲の都合を考えることなく力いっぱい泣きます。
やがて、嬉しいことや悲しいことを養育者に話しながら、自分の気持ちと相手の気持ちは異なる独立したものであると気づきます。
その後、TPOをわきまえて自身の言動をコントロールする術を身につけていきます。
それは、幼稚園でおもちゃの取り合いになったときや、学校で仲間外れにされたとき、お手伝いを頼まれたときなど、ささいな日常の中で少しずつ少しずつ学んでいくことです。
そのようにしながら、自分の気持ちを自分で認めることができ、かつ周りにも配慮する、そんなバランスが取れる人間を目指して成長していくのです。
■大人には、社会の中で果たさなければならない役割が付く
「ありのままの姿」を子どもの前でさらけ出す養育者は、養育者としての役割を放棄しています。なにも仕事のような、お金を生み出す活動だけが役割ではありません。社会には、一人一人に役割がありますので、その役割を果たさなければなりません。
このような養育者がいてはならないように、自分のストレスを発散するために部下に当たる上司や、上司の指示を無視してサボる部下が会社にいると困ります。
ありのままの自分でありたい上司も、ありのままの自分でありたい部下も、各々の役割は守ってもらわなければなりません。
■役割を正しく認識する
本当は小心な人が自分の子どもにだけ強く出るのは、「自分の子どもなのだから、親は何をしても構わない」という、自分に都合のよい勘違いした役割認識があるからです。
本来であれば、子どもの自立を促していかなければならないのに、その本来の役割と責任が忘れられていたり、すり替わっていたりするからです。
上司や部下も同じです。
上司であれば、部下を育て、会社に貢献するように育成するという役割を与えられただけなのに、会社や仕事と関係ないその人の人格や育ちまで非難しては、パワハラになってしまいます。
もしかすると、「上司は怖いものだと思い知らせなければならない」という誤った役割認識を持っているかもしれません。
部下であれば、上司の指示に従い会社に貢献しなければならないのに、上司の考えよりも自分の考えを優先して指示と異なることを勝手にやり、上司や周囲にその正当性を主張しては、逆パワハラになってしまいます。
それは「自分のほうが実業務についてはよく知っているのだから、自分の担当範囲であれば上司の判断よりも自分の判断を優先すべきだ」と誤解しているのかもしれません。
■相互尊重が大事
では、このような上司や部下がいたときに、どうすればよいのでしょうか。
役割を放棄したり、超えたりしている相手に対して、負けじと張り合うのは敬語の考え方ではありません。
上司がパワハラを行うのは、自分には荷が勝ちすぎる責任につぶされないよう、必死で体面を保とうとしているのかもしれません。
部下が指示に従わないのは、上司をバカにしその権威を失墜させることが目的ではなく、失敗するのが怖いのかもしれません。
部下は上司を尊重し、上司が部下を尊重するのに、どちらが先はありません。自分から、相手を立てるようにするのが敬語の考え方です。
相手の役割を尊重し、相手を尊重し、それを言葉と態度で表現することで、相手は自分の立場に気づき、それを受け入れやすくなります。
常に自分を客観的に見ることは難しいことです。
だからこそ、お互いに上下関係が明確になる言葉遣いを守ることが、各々の役割に意識的であり続けるための鏡になります。(これを私は、敬語による「人間関係の見える化」と呼んでいます)
どうしても相互尊重が難しい場合は、役割を放棄したり超えたりしてしまう前に、組織が用意している相談窓口や、上司の上司に相談することです。
組織内で起きているトラブルを、自分の問題として抱え込んでしまうのも問題です。本来は相互の問題であり、組織内で生じている問題なので、会社の問題です。直接の担当者である個人が解決できないなら、上司に(さらにその上司に)相談して然るべきです。
昔はそのような相談に対応してくれないところが多かったかもしれませんが、現在は、多くの企業でこのような窓口を設けています。
なお、念のため申し添えると、相互尊重は会社など、大人同士の場合です。子どもの場合は、当然ながら大人が子どもを尊重することが先です。(赤ちゃんに向かって「夜中にそんな大声で泣くなんて、人の迷惑を考えろ!」と怒鳴る親を想像してみてください)
■本音と建て前
そこで、今回のまとめです。
「建て前」とは、個人から見た場合、社会の一員として生きていくことを受け入れ、自分が所属する共同体の目標と自分の目標をすり合わせながら前向きに行動していくことを選択した宣言です。
大人には、どこに自分を所属させるかを選ぶ自由と力があります。
こんな会社に就職したくなかったという人は、では自分がどこで生きたいのか、選び直すところから始めることができます。主体的に生きないことには、敬語は使えません。
そして、それを受け入れたなら、まずは自分が所属する共同体の目標や考え方を知ろうとしましょう。相手に関心を寄せることが敬意のスタートです。
この会社は何を通して社会の役に立とうとしている会社なんだろう、この上司は何を大切に思っているんだろう、自分の役割とはつまりどういうことなんだろう、と想像しながら仕事をしましょう。
自分なりに想像した仮定にのっとって仕事をしたのに怒られたなら、その仮定が間違っていたのか、その仮定は合っていたが結果が思ったものと違ったのか検証をしましょう。そのようにすり合わせて、自分の言動と上司や会社の間に齟齬がなくなってはじめて、建て前を理解したことになります。
主張をするのは、その後です。
自分のやりたいことや変えたいことが建て前に合っているので、周囲との摩擦を最小限に抑えながら自分の意見や主張を言えるようになるのです。(建て前も分かっていない段階で主張して叱られる言葉が「お前は黙ってろ」「余計なことに口を突っ込むな」だったりします)
例えば先に挙げた「会社に貢献するように部下を育成する」ことや「会社に貢献するために上司の指示に従う」は建て前であり、その建て前を守る言動を双方が取ることで、パワハラやモラハラを防ぐことができます。
部下として上司に向かって話すなど、社会的な状況の中では、本音を、建て前に添わせてその場に出すことが求められます。
そのためには、自分の本音をなるべく正確に把握することをスタートとし、建て前とのバランスを上手に取ることをゴールとして目指します。
ありのままの自分を、誰かに表現する前に自分自身が大切にすることは重要ですが、言葉や態度にして場に出すときには、建て前と照らして適切なものを表現しましょう。
ちなみに、受け入れてもらうためとはいえ、思ってもいないことを言うのは、ただの嘘やゴマスリです。
それでは、また。
※使用した写真は、赤ちゃんのぐずり泣く姿のフリー素材です https://www.pakutaso.com/20181110330post-18726.html