「コミュ障」の社会学

『「コミュ障」の社会学』は、自身も不登校だったという貴戸理恵の著書です。

 

この本を私の言葉で要約すると、

「コミュ障」というとまるでその人の”障害”のようだが、コミュニケーションは相互作用なのだから「コミュ障」と呼ばれる人にだけ責任の帰せられる問題ではないのではないかという問題提起の本

です。

 

■私ってコミュ障?

「コミュ障」とは、ニコニコ大百科によれば、下記のとおりです。

 

  コミュ障(こみゅしょう)とは、コミュニケーション障害の略である。実際に

  定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との

  他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言わ

  れる。

 

他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手」と言われると、なんだか、私のことを書かれているようで気になりますね。

高校を卒業するまでの学生時代は、休憩時間に人から話しかけられないよう、本ばかり読んでいました。みんなが心待ちにしている修学旅行や運動会も嫌でたまりませんでした。

学生時代の一番楽しかった思い出は、修学旅行に行かなかったメンバーだけで過ごした自習時間です。修学旅行を拒否するなんて私だけかと思っていましたが、いざ当日学校に行ってみると、他にも同じような人がいました。「なんだ、私だけじゃなかった」という経験は、もしかするととても貴重なものだったのかもしれません。

 

これを読んでいるあなたはコミュ障ではないかもしれません。また、「コミュ障」と一口に言っても、実際には人それぞれでしょうから、これから書くことがあなたには全く該当しないかもしれません。それでも、もし、働くことを「コミュ障」だからといってためらっている人がいるなら、ぜひチャレンジしてほしい、その背中をほんのわずかでも押せるならと思って今回のブログを書いています。

 

■コミュ障は「構成的な時間」に向いている

何をするのかが決まっていて、そのとおりに進めていく時間を「構成的」といいます。一方、何をするのかが決められておらず、自由に過ごす時間を「非構成的」といいます。

「他人との他愛もない雑談」は「非構成的な時間」ですが、授業中は「構成的な時間」です。授業中にもコミュニケーションはあります。先生から質問されて答えることもあれば、分からないことを先生に質問することもあるでしょう?

 

休憩時間は苦手だけれど、授業中はそれほどでもないというなら、あなたはコミュニケーションが苦手なのではなく、「非構成的な時間」を過ごすのが苦手なのです。

 

そして、仕事は授業中と同じく、「構成的な時間」です。仕事であれば、雑談をしないのは長所でこそあれ、叱られることはありません。授業中にイタズラをして笑いを取る人気者が仕事向きとは限らないのです。

 

■仕事は「構成的な時間」

高度経済成長期であれば、上司とともに朝まで飲み明かしてそのまま仕事というような人たちもいました。しかし、現代では、仕事とプライベートがきっちりと分かれてきています。仲が良い同僚と遊びに行くのは各人の自由だけれど、当然のごとく参加が求められる飲み会はかなり減っている、多くの会社がそのように変化してきています。

 

会社によって差はあるでしょうから、チェックはしたほうがよいでしょう。必ず参加しなければならない飲み会がない、昼休憩時には一人になれる、そのあたりの条件さえ見極めて会社を選べば、「非構成的な時間」を極力減らせるはずです。何より、仕事で重要なのは「構成的な時間」のほうであり、「非構成的な時間」は評価の対象ではありません。

 

■仕事上の人間関係は友達ではない

「休み時間が苦手だったから自分は社会に向いてない」

「友達を作るのが下手だから会社でもうまくやっていけないだろう」

こんなふうに思っていませんか。

 

上司も部下も、そして同僚も友達ではありませんし、友達にならなければいけないわけではないのです。(友達になりたい人と友達になるのはもちろん構いません)

 

■話す内容は報連相

上司(先輩)、部下、同僚の中で、入社してすぐ大切になるのは上司(先輩)との会話です。しかしそれについても、上司(先輩)に向かって話す内容は決まっています。それが、報連相(報告・連絡・相談)です。加えて質問ができれば、あとは問題ありません。

 

■話し方には敬語を使う

加えて、話し方には敬語という決まりがあるので大丈夫です。”あなた”と”わたし”の関係性を言葉の上でも表すのが敬語ですが、「コミュ障」の人は、「構成的な時間」と同様に、どう接したらいいのか分からない人間関係にいるより、役割が決まった関係性のほうが楽ではないでしょうか。

 

その決まった役割からはみ出ないよう、役割を常に意識させることが敬語の一つの機能です。敬語を身につけることで、与えられた役割の中に留まることができます。

 

その機能は、相手に対しても働きます。「非構成的な時間」を楽しみたい人は、その役割を外れたことをしようとします。つまり、普段は敬語で話す人が、少しくだけた言葉遣いで話しかけてきたら、きっとそれは雑談であるか、仕事中には言えない本音を話したいのかもしれません。

 

それは、本人にとって息抜きになるので、相手にも息抜きになるだろうという思いやりが動機かもしれません。

 

もちろん、それが自分にとっても息抜きになるならしばし雑談に興じるのもいいでしょう。しかし、それがつらいということであれば、相手が雑談を話してきたときにも敬語を使い、表情も仕事モードから変えないことです。それだけで、かなり防げるはずです。

 

■転職は既に普通

平成27年に行われた、政府による雇用の構造に関する実態調査によれば、転職経験者のうち1割以上が6回以上の転職をしています

転職などしなくても、そもそも派遣社員であれば、基本的には3年ごとに職場が変わることになります。

 

それらを踏まえると、せっかく就職しても自分に合わなかったらどうしよう、などと不安になる必要はありません

 

支離滅裂な指示を出されたり会社の方針と矛盾する方針を上司から示されたり、プライバシーにかかわる部分を支配しようとしてきたり、どうしても無理な職場であれば、次を探せばよいだけです。それは、コミュ障かどうかとは関係ありません。

 

スケートは、転んでうまくなると言います。

最初は、転び方を学ぶつもりで、トライしてみてはいかがでしょうか

 

最後に『「コミュ障」の社会学』(貴戸理恵 青土社)より、不登校を経験したAさんのインタビューの一部(p.195)をご紹介します。

 

   学校に行かなかったのも、自分が悪いと思っていたんですけど、

   私は学校や会社のシステムを受け付けない人だったんだって。

   それを治して適応するよりも、どういう社会だったら自分が

   生きていけるかを探すほうが、私には楽。

   生きてるっていう実感がある。

 

どういう社会だったら自分が生きていきたいかを考えたとき、私は敬意ある人間関係で成り立つ社会に生きたいと思います。そのような社会には敬語か正しく使われることが有効だと思うので、自分にできる範囲で敬語を伝えてまいります。

 

それでは、また。