「お調べさせていただく」で立てているのは誰か

先週に引き続き、接客時によく使われる、文法上間違ってはいないがおかしな敬語です。

 

先週は、「お~していただく」を尊敬語の代わりとして使っている例をあげました。

 

今週は、「お~させていただく」を謙譲語の代わりとして使っている例です。

いや、謙譲語か謙譲語でないかと言われれば謙譲語ですが、単なる謙譲語ではありません。それを一切気にせず定型句として使っているのでは、お好み焼きを食べるのに、マヨネーズも練乳も同じ食べ物だからどっちをかけてもいいやと言っているようなものです。かけているほうは気にならないかもしれませんが、練乳のかかったお好み焼きを出されたほうはたまりません。

■お調べさせていただいてもよろしいでしょうか

この言葉が発せられるとしたら、どのような状況でしょうか。

 

人の為に役に立ちたいと医師になった人の目の前に、重大な病気の兆候がうかがわれる子どもがいる。けれど、親は検査の必要性を感じていない。そこで、その親に検査の必要性を説明したうえで「(私にその子どもを)お調べさせていただいてもよろしいでしょうか」と確認する。

 

間違っても下記のような状況は想像しないはずです。

 

某企業のホームページを見た人が、その企業に電話をかけて自分の住む地域に実店舗があるかどうかを調べてほしいと依頼したところ、企業側の担当者が「(私に自社の情報を)お調べさせていただいてもよろしいでしょうか」と言う。

 

しかし、実際には後者のような使われ方をしているケースが多くあるのです。

 

■どこがおかしいのか

まずはこのフレーズを分解します。

 

「お調べする」+「させる」+「いただく」+「よろしいでしょうか」

 

言葉は、一つ一つに意味があります。その意味を見ていきましょう。 

 

【お調べする】行為の向かう先を立てる言い方

 この文脈では、行為者以外の登場人物が2人(自分の会社と電話をかけてきた人)がいるので、どちらにも敬意が向かう可能性があります。もちろん、通常は電話をくれた人のはずです。

 

【させる】誰かが誰かに何かをさせる=この文脈では「”電話をかけた人が” ”担当者に” 調べさせる」という解釈以外成り立ちません。

 

【いただく】「電話をかけた人が担当者に調べさせる」という状況が、担当者にとって恩恵であり、感謝に値するというニュアンスを表現する言葉であり、その状況を生んだ電話をかけてきた人を立てています。

 

【よろしいでしょうか】その前の言葉を受けて、聞き手に許可を求める言葉なので、ここでは「調べる」ことの許可を電話をかけてきた人に求めています。

 

分解した言葉が表す意味をつなぎ合わせると

僭越ながら私ごときが自社の情報を調べるという恩恵に与るけれども、あなたはそれを許可してくれるか(その指示を出してくれるか)」

ということになります。

 

これでは「お調べする」で立てている対象は電話をかけてきた人であるお客さまではなく、調べる対象である自社ではないだろうかといぶかしくなります。

 

※先の医師の例で言えば、僭越ながら私ごときがあなたの大切なお子さまを調べるという恩恵に与るけれども、あなたはそれを許可してくれるか(その指示を出してくれるか)」という意味になり、最大限へりくだっていることが伝わります。

 

■自社の情報を調べるのに、なぜ相手の許可が必要なのか

 

医師の例では、「あなたの子どもを調べるための許可」を「あなた」に取っていました。一方、お客さま窓口の例では、「自社の情報を調べるための許可」を「あなた」に取っています。

 

通常、自社について訊かれたのであれば、「それでは、お調べします」というシンプルな言葉でもいいはずです。

即答できないのでお待ちいただかなければならないという説明を添えて「お調べするのにお時間がかかりますが、よろしいでしょうか」であれば、「よろしいでしょうか」で訊いているのは「時間がかかる」ことです。

 

しかし、「お調べさせていただいてもよろしいでしょうか」ということは、「私が調べるという指示をもらってもよいか」と訊いているわけです。

 

このような発言の多くは、相手の質問に端を発しており、かつ、調べなければ答えられないのは企業側の都合であるにもかかわらず、なされるのです。

 

これではまるで、企業の従業員が調べることの責任を電話をかけてきた人に押し付けているようです

例えばどれだけ待たされようと、それに文句を言おうものなら「だから、調べていいですかって聞きましたよね」と突き返されそうです。ここに敬意はありません。

 

 

尊敬語や謙譲語は丁寧語ではありません。まして、敬語を使えば敬意を表したことになるわけではありません。心にある敬意を言葉にして表現するためのツールとして敬語があるのです。当たり前のことを言っているようですが、たくさん使えば丁寧になるというものではありませんし敬意なく敬語を使えば嫌みにも受け取られかねませんのでご注意ください。


ではまた。