読者の方から、「(社長に向かって)奥様に差し上げてください」というのは誤用なのかというご質問を頂戴しました。敬語のテキストに誤用として載っていたが、その方には誤用には思えないということです。自分の配偶者を持ち上げられて不快になるとは思えないというのが、その理由です。
皆さんは、どうお考えになりますか。
このブログをご覧くださっている方は、敬語に興味がおありの方ばかりだと思います。敬語の本の1冊や2冊、既にお読みになったかもしれません。
それでも、敬語が分からなくてネットを探して、私のブログをご覧になっているのではありませんか?
ではなぜ、敬語の本が役に立たないのでしょう。
■学校敬語の問題点
小学校で敬語を習い、社会人になってからは敬語の本を買って勉強された方も多いかと思いますが、学校でもHow To本でも、敬語を教えるときにやりがちなのが、相手と私という二者間で敬語を考えてしまうことです。
問題の例文は、自分が話している相手(=社長)を立てるという目的から外れているということで、この敬語テキストでは誤例とされたのでしょう。
学校のテストであれば、それでいいかもしれません。
しかし、ビジネスではそうとは限りません。
敬語は、上下関係、言ってみれば組織におけるピラミッドの中の人間関係を表すものです。しかもこのピラミッドが複数のこともあります。例えば部長と自分と部下、取引先の社長と自社の社長、大切なお客さまとその息子、というように様々な人間関係を自分の視点から、または相手の視点から描き出すためのものです。
どこに視点を置くのか、人間関係をどうとらえているかによって表現すべき言葉は変わります。つまり、ビジネスの場では、正解は必ずしも一つとは限らないということです。
■敬語は自己表現として使う
この人は、今から自分が話題に上げる人のことをどう思っているだろうか。
今は、相手から見えている人間関係を表現したほうがいいのか。
それとも自分から見えている人間関係を表現したほうがいいのだろうか。
そんなことを考えながら言葉を選びます。
少々突飛な譬えかもしれませんが、富士山という一つの山を多くの画家が絵に描いています。同じ富士山でも同じ絵にはなりません。
たしかに言葉には絵画ほどのバリエーションはありませんが、同じ状況を見てもどう解釈し、それをどう表現するかは人によるのです。
目の前にいる社長が、自身の妻を持ち上げられることに腹を立てる人なのか、そうでないのか。それは、社長を見ているその人の判断に委ねられます。
質問をお寄せくださった読者の方には、愛妻家の社長が見えています。その気持ちが伝われば、社長はきっと嬉しくその言葉を受け取るでしょう。
単に社長の前だから敬語を使わなければ、という動機から「奥様に差し上げてください」と述べたのであれば、新入社員だから仕方ないか、ぐらいに思われるのが関の山です。
■敬語を使った様々な表現
この敬語テキストではどのような表現が正解として推奨されていたのか、読者の方からの記載はありませんでした。
ですが、「奥様に差し上げてください」の他にどんな言葉が考えられるか、少し書いてみましょう。
「奥様に差し上げたいのですが、お渡し願えないでしょうか」
「奥様にと思い、お持ちしました」
「奥様にお差し上げになってください」
※これは国語学者によっては、間違った敬語だと目を剥いて怒られるかもしれませんが、敬意は伝わるはずです
■敬語は敬意を表すツールに過ぎない
そうは言っても、自分が勝手に「これがぴったり」と決めればいいというものではありません。
家を建てようと思えば、木材のほか、のこぎりやカンナや金づちが要ります。
木材は気持ちです。これが無ければ家はただの張りぼてになってしまいます。
のこぎりやカンナや金づちは、その木材を加工して家にするための道具です。つまり尊敬語や謙譲語や丁寧語などです。
短くしたいのにカンナを使っていては短くなりません。しかし言葉は見えないので、短くしたつもりになってしまうのです。短くしたつもりの木材や、釘でしっかりと打ち付けたつもりの柱などでできた家は想像するだに恐ろしいですよね。
自分で家を建てるためはのこぎりやカンナや金づちの使い方を知らなければいけないように、敬意を言葉で表すには、文法が大事なのです。
家と違うのは、家であれば道具の使い方を知らなくても建売を購入できますが、敬語はHow To本に書かれている言葉をそのまま使っても、敬意が伝わらないということです。
それでは、また。