敬語をなぜ使わなければならないか、敬語は何の役に立つのか、そんな前提について、今回は少し説明してみましょう。今回は、社内で敬語を使う際の話です。
■敬意とは何か
敬意を辞書で引くと「尊敬する気持ち」と書かれている。しかし、それは敬意の一部分でしかありません。
普通に働いている多くの人が、尊敬する気持ちなど一切ない相手にも敬語を使っているはずです。尊敬する気持ちが敬意なのだとしたら、尊敬できない上司には敬語が使えなくなってしまうではありませんか。
敬意の敬は、尊敬の敬というよりも畏敬の敬です。
畏敬を辞書で引くと「崇高なものや偉大な人を、おそれうやまうこと。」とあります。
自分から見て尊敬できるかできないか、そんなことはどうでもいいのです。
会社が上司と定めた人なのだから、崇高なものや偉大な人とみなして、おそれうやまわなければいけない。それだけです。
崇高といっても、神仏扱いせよとは言いません。イエスや釈迦の偉大さとはレベルも違うでしょうから、手を合わせて拝む必要はありません。
自分から挨拶する、指示は守る、などの当然のことを当然のようにすればいいだけです。
しかし、最近、この当然が通用しなくなっています。
■Think CIVILITY
『Think CIVILITY 「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』
クリスティーン・ポラス 東洋経済新報社
話題の本を読んでみました。
そして、この本に書かれていた一言を見て少々ショックを受けました。
まず、冒頭4ページ目に、こう書いてあります。
問題なのはされた側がどう感じるか
そして、36ページにはこうも書いてあります。
その人が下品であることを証明し、尊敬できないなと思わせるような言動を「無礼」と言う。
そして礼儀正しさを身につけるため、なんと、部下や同僚、上司からフィードバックをもらう「360度フィードバック」を推奨しているのです。
フィードバックは批判のための批判になってはいけない。(p.93)
批判のための批判になることを戒めてはいるものの、上司の無礼を部下が直すなら、それが適切なフィードバックなのかどうかを一体誰が見極めるのでしょうか。
安易にこんなことを導入する企業があったら、世渡り上手な上司だけが残り、それ以外の上司はどれほど優秀でも辞めていくことになります。社内の人間関係はいいかもしれませんが、そこに厳しく成長させてくれる上司はいません。嫌みで性格は悪いがとても優秀な上司からスキルを盗むこともしようとはしないのでしょう。
一方、礼節ある態度を持っていることが、いかにその人に有利に働くかを述べたうえで、ポラスは礼節ある態度についてこのように表現しています。
たとえば、人に感謝する、人の話をよく聞く、わからないことは謙虚に人に尋ねる、他人の良さを認める、成果を独り占めせずに分かち合う、笑顔を絶やさない、といったことを指す。(p.47)
たしかに、これらの態度は重要です。しかしそれは、人と仲良くするために必要なことであって、組織を維持・強化するための必須要素ではありません。
組織を維持・強化せず、自分に有利になるよう人を動かす天才にサイコパスがいます。組織の中に隠れていて、周囲からは「いい人」「面白い人」「優しい人」「信頼できる人」「できる人」と思われ、人気も高い。サイコパスにとって、ポラスが言うところの礼節ある態度はお茶の子さいさいです。
■敬語の根本機能は距離を取ること
敬語は、相手と建て前を共有するために使われます。だから、組織を維持・強化します。仲良くすることが目的ではなく、不要ないさかいを起こして業務に支障を来さないことが目的です。
ともに仕事に取組み、信頼関係が築かれていけば、自然と仲も良くなるでしょうが、それは副産物であって、その目的のために会社があるわけではありません。
そして、敬語の持つ機能は、距離を取ることです。
言ってみれば、これが敬語の全てですが、どう距離を取るかで3つの使い方があります。
①上下に距離を取る
組織には、上下関係があります。敬語を使うことで、この上下関係を明らかにします。
指示する側の言うことに、指示される側は従わなくてはいけない。
そして下にいるからこそ見えることは、上に伝えなくてはいけない。
この上から下、下から上への流れがスムーズであれば、組織は一つの人格のように健康的に判断し、活動できます。
上司の指示を否定したり、上司に指示をするのは上下の距離が適切でないことを意味します。上下が逆転するなどもってのほかです。
一方で上司はどうか。入社2年目の部下を入社1年目の部下の前で罵るなどすれば、部下として本来、居るべき位置よりも引き下げていることになるので、これも敬語の目的と反しています。
②水平に距離を取る
「働かせてください」とお願いして入社したのが建前です。この建前にもとづいた人間関係を維持するため、本当は仕事なんてしたくなくても、その自分の本音から適切に距離を取る、そのために敬語を使います。
雇っている側も「働かせてあげましょう」と承諾しているからには仕事を与えなければいけません。「教えても教えても間違えてばかりで、自分がやったほうがよっぽど楽だ」などと思っても、態度や言葉に出してはいけません。だから、上司であれ、部下に対して一定の敬語は使いましょう。
③入ってはいけないところに入らない
いかに上司であろうと、部下のプライバシーを正当な理由なく侵してはいけません。「君もそろそろ落ち着く年頃じゃないの?いい人はいないの?」などと訊くのはハラスメントと言われても仕方がないことです。医者が聴診器を胸に当てるのは仕事ですが、上司が部下の胸に触ったら間違いなくセクハラです。仕事上、必要のない行為だからです。
部下も同様に、仕事をするのに必要な情報以上を知ろうとしてはいけません。たくさんの仕事をかかえているときに追加で仕事を指示され「いつまでにやればいいですか?」と聞くのは必要な質問ですが、「それで、課長が実際に使うのはいつですか?」と聞いてはいけませんし、ましてや「なんでこんなことやらなくちゃいけないんですか?」と聞いてもいけません。
また「僕の仕事のやり方に口を出さないでください」と上司に言うのも間違いです。社員として働いているなら「僕の」ではなく「会社の」仕事なのだから、そこはプライベートではありません。
この3つが組織内で払われる敬意の基本である。
言ってみれば、社内で敬語を使うとは、「あなたは上司なのだから、上司としての務めと責任を果たしてください」と言うことであり、「あなたは部下なのだから、部下としての務めと責任を果たしてください」と言うことです。
■建前以外には目をつむる
お互いの務めと責任だけにフォーカスするということは、逆を返せば、それ以外のところは多少目をつぶるということです。
上司たるものどれほど忙しくても、ストレスにさらされていても、部下のミスのせいで窮地に立たされても、「感謝」し、「他人の良さを認め」、「笑顔を絶やさない」ようにしなければならないのでしょうか。それは、上司に「神になれ」「完全なる人格者であれ」と言っているに等しいことです。
上司も欠点だらけの人間なら、部下も欠点だらけの人間にすぎません。
その欠点だらけの人間同士がお互いに傷つけずに協働するためのコミュニケーションツールが敬語なのです。
■組織の目指す在り方によって使う敬語を変えるべき
基本的には、上下(=指示系統)が明確なほうが組織は維持しやすくなります。
イエスマンという言葉は悪い印象を受けますが、成果を出せず、権限のもとに指示した行動が実行されないノーマンしかいない組織は、もっと恐ろしいことになります。(p.95)
『結果を出すリーダーほどこだわらない』山北陽平 フォレスト出版
しかし今、テレワーク化が進んでいます。
以前からその流れはありましたが、時給ではなく成果で測られる働き方はさらに増えてくるでしょう。そうなれば、「僕のやり方」が通用する代わり、会社は指導する義務がなくなります。それなら会社は部下にこそ敬語を使うようになるかもしれません。
また、上下関係をなくして誰でも意見を言えるようにしたいと考える会社もあるでしょう。それなら尊敬語も謙譲語も要りません。丁寧語と美化語だけを使えばいいですし、そんな組織なら「360度フィードバック」も有効かもしれません。
組織の在り方が変われば敬語も変わる。
まずは、どういう組織の在り方を目指すのか、そこから敬語は規定されます。
では、また。