不適切な「お待ちすることはできません」を文法から解説します#気になる敬語

「お待ちすることはできません。」

 

これが映画の中のワンシーンだとしたら、いったいどんな情景を思い浮かべますか?

 

目を潤ませたうら若き女性が、親の決めた縁談のため、愛する人に別れを告げる……。

「ごめんなさい。もうこれ以上、お待ちすることはできません。」

そんなセリフはいかがでしょう。

 

しかし、実際にこの言葉を見掛けたのは、街の駐輪場でした。

 

■「お待ちする」が立てるのは誰か

 

「お~する」という敬語は、「~する人」を立てません。

「お待ちする」と言った場合、立てるのは、誰かを待っているその人ではなく、待たれているほうの誰かです。

※行為者を立てず、行為の受け手を立てるので、受け手尊敬といいます

 

「利用者のみなさまへ」で表現される人間関係

まずは、この貼り紙から読み取れる人間関係を整理しましょう。

 

 

この貼り紙を書いたのは、もちろん駐輪場側の人間でしょう。

そして、「利用者のみなさまへ」と利用者を立てています。

この言葉で表現されている人間関係は、駐輪場側の人間が下、利用者が上です。

 

目上<利用者>

    ↑

目下<駐輪場>

 

このような人間関係が表現されています。

 

では次に、「お待ちする」を見てみましょう。

 

■行為者は誰か(誰が待つのか)

①駐輪場側が待つ

「お待ちする」で立てるのは、待たれているほうの人間であると述べました。

では、待っているのは誰でしょうか。

登場人物が、利用者と駐輪場側の2者しかいないなら、立場が下なのは駐輪場側ですから、駐輪場側が利用者を待っていることになります。

 

つまり、隠された言葉を補うと、下記のようになります。

 

(わたくしども駐輪場の者は、利用者のみなさまを)場内でお待ちすることはできません。」

 

人間関係に齟齬はありませんが、なんとも不思議な状況です。

駐輪場に管理者がいるなら、場内にいるのが通常ではないでしょうか。

なぜ場内で待てないのか、また、なぜわざわざそれを貼り紙にして告知する必要があるのか。

 

待っているのは、駐輪場側ではないかもしれませんね。

 

②利用者が待つ

利用者へ向かって呼びかけている内容ですから、「お待ちする」の主語は、利用者かもしれません。

そう考えると、利用者が誰かを待っていて、その誰かは利用者よりも目上ということになります。

 

もっと目上<誰?>

      ↑

   目上<利用者>

      ↑

   目下<駐輪場>

 

敬語は、人にしか使えません。また、誰か分からない人を立てるということもできません。ということは、こういうことを言っていることになります。

 

「(利用者のみなさんはあの方をお待ちなんですよね。もちろん、そのことは分かっています。あの方の前では、利用者のみなさんもわたくしどもも、同様にへりくだらなければなりません。しかし尊いあの方のためとはいえ、)場内でお待ちすることはできません。」

 

いつ駐輪場の利用者になってもおかしくない私ですが、そのように尊いあの方が誰なのか、想像がつきません。

 

このように、この文の主語が誰かというのは、2つの可能性しかありませんが、どちらを採っても不可思議な解釈しか成り立ちません。

 

■敬語は人間関係を表す

敬語は人間関係を表します。だからこそ、主語や目的語を省いても文意が誤解なく伝わるのです。

 

逆に敬語を間違って使うくらいであれば、主語や目的語をきちんと入れて、敬語を使わないほうが分かりやすい文章になります。

 

「場内で、空くのを待つことはできません」

 

正しい言い方は一つではありませんが、参考としてみてください。

 

それでは、また。