敬意は人の為ならず~「素直」についての補足

前編、後編と分けて「素直」という言葉をテーマに論を進めてまいりました。

ここでは、これまでに説明しきれなかったことを少し補足したいと思います。

 

後編では、素直に指示に従えないときでも、自分の想いと距離を取ることで感謝できる余地が生まれると説明しました。

もし、自分の理想どおりの現実ではないにもかかわらず感謝することを、まるで卑屈な行為のように感じる人がいたら、それはその人自身にとって損なことかもしれません。

 

■感謝は自分をも幸せにする

感謝は、相手を気分よくするためだけのものではありません。自分の心を幸せにするものでもあります。

※これは単なる道徳や体験の話ではありません。孫引きで恐縮ですが、『学びを結

果に変えるアウトプット大全』(サンクチュアリ出版 樺沢紫苑)によれば、「感謝やポジティブ感情が多く、幸福感を持っている人は、そうでない人に比べて9.4年長生きすることが明らかになってい」るそうです。p.106

 

もし感謝しようとすると卑屈な気持ちになるというなら、自分の心のケアのほうが先です。もう少し、距離を取って自分の心と現状の両方が視界に入る位置から状況を見直してみてください。 

  

■感謝できないときには

そして、自分の想いからこれ以上距離が取れないというところまで後ろに下がっても感謝できないなら、その人間関係の中にいるのはお互いに無理がある可能性もあります。

 

例えば営業職を望んでいたのに、実際に配置されたのが経理だったとしましょう。会社としては、その人を管理職になれる逸材だと見込んで、いろんな部署を体験させたいと思っての判断だったとしても、本人に管理職への希望がなければ、それは苦痛なだけかもしれません。もし、会社に気持ちを伝えても状況が改善されなければ、営業として働ける会社へ移るという選択肢はあってよいと思います。

 

そのとき、もし、「辞められるんなら辞めたいけど、家のローンもあるし、そんな簡単にいかないよ」という場合もあるでしょう。

そのような場合は、既に述べた②の考え方を裏返してみるとよいかもしれません。

 

■ひっくり返した②

 ②は「相手を自然現象のように受け入れる」でした。これをひっくり返すということは、「自分を、主体的な責任をもって引き受ける」ということです。

 

辞められない、というとあたかも自分のあずかり知らぬ自然現象であり、自分の意志とは関係なく受け入れなければならないもののように聞こえます。しかし、実際は違うはずです。ローンを組んだのは自分です。配偶者にせっつかれてやむなく契約したかもしれません。男たるもの家ぐらい持たねばという社会の圧力に負けたのかもしれません。理由は様々あるでしょうし、そのときの自分は会社を辞めたくなるなど考えていなかったかもしれません。

 

しかし、現状を自分の判断の結果であると引き受けることができる人であれば、「(最もやりたい仕事とは違うけれど)おかげさまで家のローンが払えるのだから、ありがたい」と感謝できるはずです。

もちろん、辞めたいという自分の気持ちが強いなら、辞める前提でローンの支払をどうするかという問題を責任をもって引き受けることもできます。

 

本来の②は相手の行動、相手の考え、相手の選択を自然現象のように受け入れます。それは相手を立てる行為です。それを自分自身に行えば、自分自身を守り立てる”自敬敬語”になってしまいます。

「自分の責任ではない、ローンがあるのだからどうしようもないのだ」

「自分の責任ではない、配置換えがあるなんて思わなかったのだ」

このように言えば、自分を責めずに済むかもしれませんが、それでは自分の人生に責任を取る人が誰もいないということになってしまいます。

 

例えば、被害者意識の塊のような人を想像してみてください。

「俺は本当は●●だったのに、やむなく▲▲しているんだ」

「■■さえ▼▼だったら、私はこんなとこに居なくて済んだのに」

このような人が身近にいたら、自分自身の責任を回避し己を守ることに終始していて周囲の人への敬意も不足している人であると、多くの人が考えるのではないでしょうか。

 

つまり、敬語から見えてくるのは、立てるべき人を適切に立てるためには、立てる主体としての自分が中心に居るということであり、自分の人生を主体的に生きているという前提で敬語は構成されているということです。

 

ここでもう一つ敬意と似て非なるものをご紹介しておきます。

 

■現実を無視して感謝することは敬意ではない

現実を受け入れるとは、分からないことを分からないままに受け入れることです。「上司が何をもって自分を営業に出さないのか、その本当のところは知る由もないけれど、自分の望む未来に向けて、今、自分ができることに集中しよう」というのが感謝して受け入れるということです。

一方、現実を無視して感謝するとはどういうことかというと、

例えば、「上司が自分を営業に出さないのは、自分が営業に向いていないからに違いない。自分には分からないことを教えてくださってありがたい。」と考えるということです。

上司の本当の意図は分かっていないにもかかわらず、それ以上考え続けることを放棄し、自分がどういう人間かというアイデンティティにもかかわるような重要な判断の責任を相手に丸投げしています。これは、依存であり、自立した大人が抱く敬意ではありません

もし、他の営業がノルマを達成できないために叱られているのを見て「ああ、自分が営業をやっていたら、ああなっていたに違いない。やはり営業にされなくてよかった。やはり上司は自分のためを思って営業に出さなかったのだ」と考えるなら、本来自分がなぜ営業をやりたかったのか、という自分の気持ちも捨て去っていることになります。大切なことなので言葉を変えて繰り返しますが、自分の気持ちの無いところに敬意はありません。

 

まあ、多少、脱線した感も否めません。以上、ややこしく「素直」について述べてきましたが、最後に簡単な提案を一つ。

 

■「素直」を職場で使うのはやめよう

このように立場によって解釈が異なる言葉を使うのは、ビジネスにはふさわしくありません。「素直」という言葉で自分や相手を見るのをやめてはいかがでしょうか。

 

【上司】

× 指示には素直に従いなさい 

× 君は素直じゃないな

〇 まず●●をやってみて、感想や改善点を聞かせてくれないか

 

【部下】

 × チェックは無駄だと思ったから素直に思ったこと言っただけなんですけど、

  思ったことを言っちゃいけないんですか

〇 自分は計算が苦手で、人より時間がかかってしまうかもしれませんが、

  精一杯頑張ります

〇 本日は月末処理もたくさんありますし、いつも行っているチェック作業を省く

  ことで、その分早く仕事ができるかと思うのですが、本日だけチェック作業を

  省くというわけにはまいりませんでしょうか(→上司の判断に従う)

 

上記のような言い回しができる職場も、そのような言い回しがふさわしくない職場もあると思いますが、何かしら敬語が考え方のヒントになればと思います。

 

それでは、また。

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