【お前騒動】からみる敬語

【お前騒動】を知っていますか。

野球を見ない私は、全く知りませんでした。

 

2019年の話で恐縮ですが、監督が応援歌の歌詞に含まれる「お前」という言葉を子どもたちが歌うことに、教育上の懸念を示したことが発端で起きた騒動ということです。

 

「お前」が歌詞に含まれる応援歌とはどのようなものだろうと、スポーツオンチの私は検索してみました。すると、こんな便利なものがちゃんと用意されていました。素晴らしいですね。

さて、少し聞いてみましたが、これが失礼だとは思いません。
またこの騒動に際し、「お前」をやめるべき、という意見が多数派ではなかったようで、安心しました。

ただ、こういう時代が来るのではないかという予感はしていました。

周囲で使われる敬語を見ていると、敬語の存在意義が変わってきているのを感じるからです。

■敬語は誰かを立てたいときに使う

例えば、「聖徳太子さんは、十七条憲法をおつくりになりました」とは言いません。
聖徳太子と話者の間に、人間関係は成り立たないからです。

 

同様に、芸能人、政治家など、こちらが一方的に知っているだけの人や、名前も知らない赤の他人をを話題にするときも敬語は使いません。もしその基本に反して敬語を使うのであれば、それなりの話者の意図があるはずです。(例えば、空海をお大師さまと呼ぶのは、まだ生きていると信じている証でもあるわけです)

ところが実際には、ニュース番組を見ても、ブログなど個人の発信物を見ても、有名人を知り合いのようにさん付けで呼んでいる例が多くあります。
インターネットが基本のインフラとなり、個人が万人に向けて発信できるようになった現代、有名人と一般人の境目が曖昧になり、人間関係も変わったということなのかもしれません。

 

また、もう一つの要素として私が感じるのは、責任回避の心理です。
つまり、誰かを立てないことで自分が責められるのではないか、という恐れから敬語を使っているような印象を受けるのです。

 

■美化語化する敬語

誰かを立てることを目的とせず、自分の印象を操作するために使う敬語を、美化語といいます。

 

以前の記事で、「お持ち帰りできます」という言葉を題材に、敬語が美化語化しており、人間関係を表す機能を失いつつあると書きました。

それは、言葉を換えれば、敬語が上下を表す目的を避け、横並びで仲良くすることを目的とする言葉になってきているということです。

 

仲良くして何が悪いのかと思われる読者もいるかもしれません。

 

しかし、考えてみてください。上下が明確であれば、「指示責任は上」「実行責任は下」です。
上下がないとは、責任の所在が不明確になるということです。

もし誰も責めないなら、誰も責任を取りません。
上下に関係なく、もし最も責められた人が責任を取るなら、本来の責任に関係なく、立ち回りのうまい人は責を逃れ、不器用な人が切り捨てられます。

それでは、問題は解決しないどころか温存されています。

■敬語は落ち着いて使う

例えば火事のときに「恐れ入りますが、エレベーターを使わずに、右手にございます非常階段から、ご足労をおかけするお願いで誠に申し訳ないのですが1階まで降りていただけますでしょうか。」とは言いません。

 

「逃げろ!右だ!!」と言います。

 

そもそも「お前」は敬意が薄まっている言葉とはいえ、「手前(てめえ)」よりは敬度の高い言葉です。その「お前」がダメということになったら、次は「かっとばせ」もダメということにならないでしょうか。「お前」呼ばわりしてはいけない相手に向かって、子どもが命令するようになるのはいいのでしょうか。なんなら、選手を呼び捨てにするのもダメで、「さん」付けにしなければいけないのではないでしょうか。

 

もし、こんな風潮が続いたら、あしたのジョーの丹下段平”さん”はリングに倒れた矢吹ジョー”さん”に、こう言わなければならないかもしれません。

ジョーさん、あの、ジョーさん?お疲れのところ悪いんですが、もしよかったら立ってもらえませんか?

こんなセリフなら、誰もがおかしいと思いますよね。敬語を適切に使うとは、敬語を使わないという選択肢まで含めて考えるということです。

 

それでは、また。 


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