最近はメガネも安くなりましたね。
レンズも薄くなり、軽くなりました。
でも、サングラスでなかったものがサングラスとなったりはしません。
この写真は、とあるメガネ屋で見掛けた説明書きです。
度が入っているメガネと勘違いする客が多かったのでしょうね。
今回は、この「サングラスとなります」を取り上げます。
※「となる」「になる」の違いについて
今回のケースでは「サングラスになります」とも「サングラスとなります」ともどちらの言い方もできるので同じものとして扱います。(「となる」のほうがより、堅い表現)
■どんなときに「なる」のか
このような「なる」には2つの条件があります。
①変化するとき
例文1「透明なレンズに紫外線が当たると色が変化し茶色になる」
例文2「僕は、パイロットになる」
②自分に決定権や責任がないとき
例文3「来月、シベリアへ転勤になる」
例文4「隣の家が火事になる」
写真から推察するに、①には該当しません。
とすれば、②の意味で使われているから気になるのです。
例文3や4を読んで、この文章が誰かの発言だったとしたら、誰の発言だと思いますか。
例文3なら転勤する本人か家族、もしくは同僚を想像したのではないでしょうか。
つまり、その決定に関与していない人です。
例文4なら、このセリフを言った人の家は火事になっていないと思いませんか。
つまり、その状況に責任のない人です。
もし、人事からの通達を伝えただけの上司ではなく、その決定権を持つ人から「君、来月、シベリアに転勤になるよ」と言われたら、よほど怒らせることをしてしまったのかとぞっとしませんか。
「君に、シベリア支店を任せたいと思っているんだが、どうだろう」と言われたときと、印象はかなり違うと思います。
一方、自分の家で火事を出して、隣家まで延焼させておきながら「隣の家が火事になった」と言っている人がいたら、あまりに状況を分かっていない人ということになってしまいます。それほど付き合いのない人であったとしても唖然とするでしょうし、もらい火で家を失った隣家にしてみれば怒りで打ち震えることでしょう。
■店で販売している商品に責任はないのか
上記で見てきたように、「サングラスとなります」と言うということは、
「当店はそれがサングラスであることになんら責任を負っておりません」
と言うことと同じです。
もっと分かりやすく言うなら、
「いやぁ、なんでしょうかね。なんか、これサングラスらしいんですよ。
いや、自分が決めたわけじゃないし、まぁ、サングラスっていうことなんで、そうなんじゃないんでしょうかね」
と、極端に言えば、こう言っているのと同じです。
正しい言葉づかいとしては「サングラスでございます」と言えばいいだけのことです。
何も難しい言葉づかいではありません。誰もが知っている言葉づかいです。
では、なぜそんな簡単な言葉が使えないのでしょうか。
■自信を持ち堂々としていることと、偉そうな態度は違う
「サングラスでございます」という言い方と
「サングラスになります」という言い方を比べると
「サングラスでございます」のほうがはっきり言い切っている言い方である
ということは感じられるかと思います。
はっきり言い切るということは、責任をもって話すということですよね。
これは、自信を持ち堂々としている態度です。
これを、偉そうな態度と勘違いしてはいないでしょうか。
店の商品に責任を持つためには、謙虚に商品知識を蓄えたり検品したりして品質を守ります。日々勉強と努力を積み重ねているから自信につながるのです。
へりくだることと、卑屈なことは全く違います。
相手を立てるのに、自分が卑屈になる必要はありません。
「自分が決めたわけじゃない」「自分に責任はない」といちいち言い訳をするのは、謙虚な態度とは言えません。それは不遜ですらあります。
自信をもって販売している商品なら、「サングラスでございます」と堂々と言ってほしいものです。
それでは、また。