敬語が目指す人間関係は、仲良しではない

誰かから質問されたとか、そう言われたというわけではないのですが、どうも勘違いしている人が多いのではないかと思われることがあります。

 

それは、ビジネスにおいて、言い換えれば、敬語を使わなければならない場面において、人と仲良くなることが大切だと思ってはいないだろうかということです。

 

ここ数年、職場の全員で飲みに行くという機会は減ったかもしれませんが、以前であれば、みんなでイタリアンに行こうと話していたのに上司のひと言で焼鳥屋になった、なんていう話はよくありました。

それを同調圧力というなら言っても構いませんが、上司の好きな場所を宴会場に選ぶというような些細(ささい)なことであれば、普段もっともストレスを抱えている上司の好みに全員が合わせてあげればいいではありませんか。

敬語は立場を踏まえ、目的に沿って使う

働く理由も人それぞれなので、一概には言えませんが、話をシンプルにするために「給料をもらうため」としましょう。

 

その目的を達成するためには、上司が人事に「あいつをなんとかクビにしてくれないか」と相談するような事態は避けなければなりません。そのためには、「あいつがいると仕事がうまく回らない」と判断されるようなことのないよう、一生懸命働くことが必要です。

 

一方で、上司も「給料をもらうため」に働いており、会社に迷惑をかければクビにされるかもしれないのは変わりません。

だから、仕事はミスするかサボるかのどちらかだが、かわいいから評価を全部満点にしてあげたというような部下の扱い方は許されないのです。

 

つまり、敬語を必要としない個人的なつながりであれば好き嫌いで決められるかもしれませんが、敬語を使うべき人間関係を好悪だけで判断してはいけないということです。

 

この組織の目的は何で、その目的に寄与しているか。

この組織の人間関係はどのようになっていて、それを強化しているか。

 

判断するうえで大切なのはこの2点です。

 

言葉を換えるなら、敬語が目指すのは、好かれる人間ではなく、信頼される人間ということです。

立場を踏まえれば言えないこともありますが、立場を踏まえればこそ言わなければならないこともあります。

相手への配慮はもちろんするけれども、配慮の有無にかかわらず、どう言っても相手が怒りだしそうなことでも言わなければならないことは言わなければなりません。

それは、好かれたり嫌われたりしないようにすることとは別の軸を自身の行動基準として持っているということです。

仲良しとは異なる人間関係が、忘れられているような気がしてなりません。

 

それでは、また。