総理の敬語から見るロシアと日本の関係は

コロナ禍で、十分過ぎるほどに世界は苦しんでいるのに、今度はウクライナで軍事侵攻がありました。

空はオレンジ色に輝き、建物が崩壊する映像は、テレビを通してもなお悲惨以外の言葉が見つからず、「死にたくない」と泣く子どもに世界中の人々が心を痛めています。

 

そんな中、岸田総理は、他国に先駆けて「一連のロシアの行動は国際法違反であり認めることはできない」ロシアを名指しして強く批判しました。

また、難民の受け入れを表明するなど、総理としての英断に日本国民としての誇りを感じることができました。

ロシアに申し「上げる」

そんな総理ですが、去る25日の参議院予算委員会においては、日ロ間の北方領土問題などについて「当面申し上げることは控えなければいけない」と答弁しました。

 

同じ頃、米国のバイデン大統領が「プーチン」と呼び捨てにしたのとは対照的です。 

これは「ロシア経済分野協力担当大臣」のポストを廃止すべきではないかとの質問に答えたものなので、大臣から「ロシアへ」申し上げることを控えると言っていると解釈できます。

 

つまり、ロシアを立てているわけですから、次のように言っているとも考えられます。

 

ーーーロシア様は、日本にとって大切な隣国であることは変わらないけれども、ウクライナ侵攻という情勢を鑑みるに、残念ながら北方領土問題について話すようなときではありませんねーーー

 

 

しかし、ロシアは制裁すべき相手であるはずです。ロシアの国際法違反を追及する話をしている同じ口から「申し上げる」という敬語が出てくるのは、矛盾しています。 

使わないのも使い方

敬語は、使わないという選択も含めて発話者の考える人間関係を表します。

 

例えば学校で生徒の教科書が隠されたとしたら、決して

「お隠しになった方は名乗り出ていただけませんでしょうか」とは言いません。

「隠した者は名乗り出なさい」と言うでしょう。

 

同様に「申し上げる」とは社長や顧客のような目上に向かって話す行為を指し、犯罪者とみなしている人間に対して「申し上げる」とは言いません。

※もちろん敬語を「使わない」のと、悪口を言ったりあざけったりすることは別です。相手がどんな人間であったとしても、ののしったり見下したりしてはいけません。

 

また、「申し上げる」という言葉遣いがふさわしい文脈として、

「ウクライナに侵攻(今は侵略と言っていますね)したからといって、日本にとってロシアが大切な隣国であることに変わりない。日本はロシアにもウクライナにも平和で民主的な解決を望んでいる。できることであれば日本は協力する用意がある」

という立場を採るという選択もあり得るのでしょうが、そういう文脈にもなっていません。

 

「我が国としての意志を国際社会にしっかり示す」ことを優先している総理がこの文脈でロシアに対して進んで敬語を使うことを、諸外国はどう見るでしょう。

敬語は、人に伝えるために使うもの。果たして何が伝わるのか

事の重大性に比べて敬語などは些末な問題かもしれません。しかし、人は言葉や態度の端々からその人の本音を探ろうとするものです。一貫性にほころびがあれば、そこにこそ本心があるのではないかと疑われもします。まして、首相ともなれば世界が注視しています。

 

国民の命を預かる総理大臣におかれては、ぜひ自身の言動に注意深くあってもらいたいものです。

 

それでは、また。