敬語に必要な要素~想像力

作家の村上龍が経済人と対談するカンブリア宮殿という番組がある。
3月3日放送のゲストは、2014年42歳の若さでアース製薬社長に就任した川端克宜。

10人以上の役員をごぼう抜きして社長に指名されたときは、彼自身も驚いただろうが抜かれたほうも戸惑ったことだろう。それでも彼を社長にしても大丈夫だと判断した要素の一つを、彼の発言に見た気がした。

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昨日まで僕のことを後輩として接していたのが、上司どころか社長にまでなって「しんどいのは僕じゃないな」と。

そういうふうにしてやる(接する)先輩のほうがしんどいよなと思うと、全然そこは、しんどいのは逆だよね(僕のほうじゃないよね)と思いましたね。

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( )内は文意を補足するため加筆

他人がいかにしんどかろうが、自分のしんどさが減るわけではない。普通なら大役を任されて自分のことで手いっぱいのはずだが、そこで周囲を思いやることができるのが、器の大きさであろう。
そこで、前提条件として必要になるのが、想像力である。

関係性を想像して、使うべき敬語が決まる

敬語を使うためには、想像力が求められる。

組織内における人間関係のように、上下関係が明確であれば、誰に敬語を使うべきかに悩む必要はない。しかし実際には、相手は自分のことをどう思っているのか、どんな反応を期待しているのかなどを読み取って敬語を選ぶ。だから、想像力が必要とされるのだ。

方向性を決める敬意

本人は一言も言っていなかったが、反感や反発は実際にあったのだろう。それを態度や言葉で示されたとき、普通は傷ついたり腹が立ったりするものだ。しかし、彼は自分の感情に巻き込まれることよりも、相手のことを想像した。

この想像力に敬意が欠けていれば「ざまぁ見ろ」とこれまでの溜飲を下げて満足するということもあり得る。もっと積極的に進めば、職権乱用やパワハラにもなりかねない。

ここに、相手への敬意があるから、想像力が配慮につながる。

この場合の想像力は共感能力と言ってもよい。

そして、「しんどい」けれども自分はそれを背負おうと思うから「僕のほうじゃない」という言葉が出てくる。
自分を被害者だと思い、自分を守ろうとするなら、「僕のほうじゃない」などとは言っていられなかったはずだ。

だから、自信のない人は謙虚にはなれない。そもそもそれを「背負える」と思えないのだから。
自信と謙虚はコインの裏表なのだ。

※そしてだからこそ、謙虚でない人を責めることもまた理不尽なのだろう。
「背負えない」と思うものを本人に背負わせることはできない。自分が壊れてしまうと思えば相手を敵として排除して自分を守ろうとするのは人間の本能だ。実際にはそれで自分の居場所を狭めてしまうことになったとしても、安心できる居場所があったほうがよいのだから。

 

愛する人に苦労はない

「愛する人に苦労はない。たとえあっても、それを愛するだろう。」

たしかキリスト教関係の本に書いてあった言葉だったように記憶している。
川端が言った言葉を聞いて、私はこの言葉を思い出した。

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最初、とっつきにくい人、いるでしょ?

そういう人のほうが好きというかね、長く続くというか。

最初から会ってすぐに意気投合する人ばかりじゃない。

むしろそうじゃない人のほうがいい。

何かこう合うとこ、そういうのを探そうというのはあるかもわかりませんね。

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敬語は言葉だけではない。その心を大切にして使いたい。
改めてそう思った。

それでは、また。