前回は、林外務大臣が言ったと思われる「お迎えをやっていく」を取り上げました。
実は、もう一つあります。
それが、「ご安心をしてくださいというご挨拶をした。」という発言です。
今回は、前回の復習の意味も込めて、この言い方がなぜ気になるのか、どう気になるのかを書いていこうと思います。
基本の意味
これは、安心するという行為をするその主体を立てるときの言い方です。
この文脈上、その主体とはウクライナから来日する避難民を指します。
正しい敬語で言い換えた例も挙げておきます。
ご安心くださいとご挨拶をした。
※挨拶という単語は、文法上「ご挨拶する」という敬語(挨拶の受け手を立てる敬語)は作れないので、このまま
ズレには意味が生じるということは前回伝えました。
では、基本の意味からずらしているなら、そこにはどういう意味が読み取れるでしょうか。今回も考えてまいりましょう。
ご安心をしてください
前回と違い、基本の「ご安心ください」でも、ズレた「ご安心をしてください」でも「ご安心」が名詞であることは変わりません。
ただ、ズレることによって「した」という行為(する=do)を含めてしまっています。
タメ口とまではいかなくても、特別に敬意を払う必要のないフラットな間柄であれば、「安心してください」で十分です。
それを、安心する主体を立てる「ご」を付けておきながら、一方で行為者責任を表す「する(do)」も付けるなら、どっちが本心なのだろうかと勘繰りたくもなります。
挨拶には「を」が必要で、安心には「を」を入れちゃいけないなんて、そんなこといちいち考えていられるか、こっちは忙しいんだから、全部「を」を付けて敬語を崩してしまえばいいんだよ、正しいとか間違っているとか言われないためにいちいち「を」を入れているんだよ、というあたりが本音なのかもしれません。
しかし、外務大臣といえば、「外務大臣あるいは各国の大統領や首相などと話し合い、友好関係を深め、平和な世界をつくるように努め」るのがその仕事です。
その外務大臣が日本語に無頓着というのは、少々寂しい気がします。
敬意は感じられるか
先週は「お迎えをやっていく」について、自分事とは感じていないようだと書きました。言い換えれば、責任感をもって行うという意志が感じられづらくなるということですが、その前後の言葉も見てみると、さらにその印象が強まってきます。
もう一度、その文章を記載します。
「皆様のために最大限のお迎えをやっていくという趣旨のことを申し上げた。」
普通、人を自宅に呼ぶときに「最大限のお迎え」などと言うでしょうか。
「精一杯」「心を込めて」「できる限りの」など、主観的な言葉で表現するものです。
「最大限」と大小で言うなら、「予算の上限ギリギリまで」というように測れるものを念頭に置いていたのかもしれません。たしかに先立つものがなければ何もできないとはいえ、それではあまりに温かみに欠けるというものです。
ちなみに今回の文脈には合いませんが、「盛大にお迎えする」とも言いますね。ただしこちらはどのように迎えるかを表現しているのであって「最大限」の代わりに使える言葉ではありません。
加えて言うなら、「という趣旨のことを」という言い方も回りくどくて気になります。
回りくどい言い方は、コールセンターの新人オペレーターが好んで使います。自信がなく、間違いを指摘されたときに「いや、そのようにはっきり言ったわけではない」と言い訳できる余地を残したいという無意識の抵抗なのだろうと思います。
これもまた責任回避であり、敬意とは残念ながら逆の言葉遣いであると言わざるを得ません。
このように書いてくると、そもそも避難民への敬意を示そうと思ったであろうに言葉遣いがおかしいなぁと思った私の想像のほうがお門違いだったのかもしれないと不安になってきます。
もしや最初から敬意などなかったのでしょうか……。
いやいや、政治家といえど言い間違いはある、単に言い間違えただけだと思うことにいたしましょう。
それでは、また。