「ご」は要る?要らない?「ご集金に参りました」~#気になる敬語

知人から、質問がありました。

 

取引先である信用金庫の職員が集金に来たときに「積み立てのご集金に参りました」と言っていたが、この「ご集金」はいいのだろうか、とのこと。

 

そこで今回は、この「ご集金」について考えてみようと思います。

気持ちは分かるが

たぶん、というか確実に、集金に来た職員は金を払ってくれる知人を立てるために「ご」を付けています。その気持ち自体は十分に分かりますよね。

 

これは、「一点ご報告があるのですが」とか、「念のためのご確認ですが」などと同じ使い方です。(「受け手尊敬」といいます)

 

しかし今回違和感がある理由は、「報告」や「確認」と異なり、「集金」という単語の中に「を」が含まれてしまっていることだと思われます。

(集金=「金集める」)
そしてそれがなぜ問題かというと、受け手が文中に出てこないからです。

受け手は特定できるか

職員の目の前に知人がいるなら状況から考えられる受け手は知人じゃないかと思われるかもしれません。しかし受け手を立てる敬語は、あくまでその一文の中で使われているその単語が誰を指すかが問題になります。

 

先の例との比較で説明しましょう。

 

「一点(あなたに)ご報告がある」
「念のための(あなたへの)ご確認

 

例文では仮に(あなた)としましたが、ここは(部長)でも(〇〇さん)でも置き換え可能です。この例文で説明したいことは、受け手が誰であれこの一文の中で特定できるということです。

 

今回のテーマである「集金」の例を見てみましょう。


「積み立てのお金を集め(=集金)に参りました」

 

ここに(あなたから)とあってもいいかもしれませんが、あえて限定する必要性がありません。必要なのはお金であって、人ではないからです。必要性がないものをあえて書くと、そこには別の意味が生まれます。どんな意味が生まれるか、あえて書いてみましょう。

 

あなたから集金に参りました」

 

どうですか。なんか怖くありませんか。今日は絶対に逃がさないぞというような気迫が伝わってくるようです。

 

職員はお金を持って帰ればよいのであって、知人の代わりに部下が出てきて払おうと、その場にいた第三者が太っ腹なところを見せて払おうと一向に構わないはずです。なんなら玄関に置いてあったって構いません。

そして、文法上受け手が特定できないのに受け手を立てる敬語は使えないのです。

(「報告」や「確認」の場合、第三者が代わりに聞いといてやると言われても困ります。許容できるのは、最初に想定した相手に必ず伝わる場合であり、その点において、発話時に特定した受け手は変更されません) 

言い換え

いやしかし、「積み立て」は「お」を付けられない言葉だから、せめて「集金」に「ご」を付けたいという気持ちも十分に分かります。それでなくとも敬語が過剰になっている今の流れの中、「お」を全く使わずに顧客と話をするのはかえって勇気がいることでしょう。


そこで、こんな言い換えはいかがでしょうか。

 

「積立金をお預かりしに参りました。」

 

これなら敬語として気になる点はありません。

(「(あなたから)お預かりします」と言っても違和感は生じません)

 

ただ、別の点が気にかかっています。

もしかすると知人からの質問の意図としては、毎回来るのにそんな敬語を使われちゃぁ堅苦しいじゃないか、と言いたかったのではないか。
そうだとすると、私が書いた言い換えは、もっと堅苦しいかもしれないなぁ……。

 

正解は、過剰敬語を省き勇気を出して

「積み立ての集金に参りました!」

と元気よく言うことだったかもしれません。

 

いやぁ、敬語は難しいですね。

 

それでは、また。


今回は以下の論文などを参考にしました。
『V-N 型漢語動詞の自他 -N の意味の限定化をめぐって-』
名古屋大学大学院国際言語文化研究科 張善実
https://www.lang.nagoya-u.ac.jp/nichigen/menu7_folder/symposium/pdf/8/08.pdf