私の記事を読んでくださった方から以下のご質問を頂戴しました。
情報はこれだけなので、推測で申しますが、恐らくは敬語について知識のある方なのだと思います。
次の例文をご覧ください。
お~になる
この文の「お帰りになる」は、主体尊敬(「帰る」という動作をするその人、ここでは「お客さま」を立てる敬語)ですが、「お時間になる」も見た目はそっくりですよね。「お~になる」という敬語の「~」に違う言葉が入っているだけのようです。
しかし、時間は動作ではありませんから、立てるべき主体がいません。それなのに「お」がついているのはおかしいではないか、と感じてしまったのではないでしょうか。
「お時間になりましたら、お集まりください」
「お時間になりましたので、始めたいと思います」
などの言い回しはそれほど珍しいものではないので、耳なじみはあると思います。
なので、これを聞き流してしまわずに気になったとは、敬語講師としてはなかなかに嬉しいことでした。
敬語を外してみる
しかしこの二つ、実は似て非なるものです。
「お帰りになる」と「お時間になる」の違いは、敬語を外すと分かりやすくなります。
つまり、「お帰りになる」は「帰る」という動詞に「お~になる」という公式を当てはめて敬語にしていますが、「お時間になる」は「時間」に「お」を付けているだけで、元の「時間になる」は敬語とは関係ありません。
誰を立てているのか
では、「お時間」の「お」は誰を立てているのでしょうか。
これもまた、今回の質問者を悩ませたところだと思います。
「部長、5分だけお時間、よろしいでしょうか」
これなら、部長の時間に「お」を付けているので、言葉のうえで立てているのは部長です。
しかし、この方が違和感を覚えた「お時間になりましたら」は誰かの時間に限定できません。
11時になったら、とか、15時半になったらとか、そういうことです。
それでは、誰を立てているのでしょうか。
それは、話の聞き手です。
本日はお日柄もよく
結婚式などで、このような決まり文句を聞くことがあります。
この「日柄」も「時間」と同じで、誰かに属しているものではありません。
他の敬語が、立てたい人に王冠をかぶせるようなものだとしたら、これは立てたい人がいる部屋に花を飾るようなものです。だから、もてなしている話し手から、もてなされている聞き手への敬意です。
ちょっと説明では分かりづらいかと思いますので、聞き手への敬意ではないところに使うとおかしくなることを示す例文をご覧ください。
この例文では、社長は立てていますが、聞き手のことは立てていません。そこに「お時間になりましたら」がくっつくとちぐはぐな印象になります。
このような場合は以下のような例文のほうが自然です。
したがって、それほど聞き手を立てているとは思われないような場面では使わないほうがよいでしょう。
以上で、ご回答になりましたか?
↑この「ご」が誰を立てているかは、、、、分かりますね?
それでは、また。