表題は、テレビでの一言です。
「家康公お手植えのミカン」なるものが、静岡県の駿府城公園にあります。
このミカンについてテレビで紹介していました。
しかし、テレビで説明するその人は「家康公が」と言ってしまいました。「が」と言ってしまったら「お手植えのミカンです」と続けるわけにはいきません。それでは家康公がミカンだったことになってしまいます!
そこで急遽動詞にすべく「お手植えしたミカンです」と言ってしまったのでしょう。
ここには、大きく二つの問題があります。
「お~する」は行為者を立てない
「お手植え」で立てているのは行為者である家康公であるのに対し、動詞を「お」と「する」で挟んだ「お手植えした」は、行為者を立てない敬語です。(「し」は「する」の活用です)
これでは、家康公を立てない言葉をわざわざ使っていることになります。
「手植え」に「する」は付かない
では、家康公を立ててはいないけれど、その言葉そのものだけを取り上げれば正しい敬語なのかと言われると、それも違います。
先にも書いたように「お」と「する」で挟むのは動詞です。しかし、「手植え」は動詞ではありません。名詞です。動詞なら「歩く」「歩けば」「歩こう」などと活用しますが、「手植え」は「手植える」「手植えれば」「手植えよう」とは言いませんよね。
もしこれが、「お植えする」なら正しい敬語です。ただし念のために申し添えると、植えるという行為をした家康公は立てていませんので、家康公を立てる目的からすると間違いです。
敬語は身に付いたものしか口から出ない
何かを話すときは、話す内容について考えています。
そのときになって「えーと、これは敬語でなんて言うんだっけ」と考えることはありませんし、そこで考えても知らないものが分かるようにはなりません。
敬語は、話すときではなく、話す前に身に付けておかなければならないものです。
それでは、この場合なんと言えばよかったのでしょうか。
看板のままを言うのが一番簡単だったのではないかと思います。
「家康公 お手植えのミカンです」
口語文としてきちんと言うのであれば、以下のような言い方もできます。
「家康公が手ずからお植えになったミカンです」
それでは、また。