時事問題に見る敬語~お述べになる

今月5日の衆院本会議において、立憲民主党の泉代表が細田議長に質問するというハプニングがあった。その質問を議長は無視し続けた。

それに対して伊吹元衆院議長の言葉がこちら。

議長に得意満面で質問するのもどうかと思うが、ここまで信頼関係が壊れているのに何かを共に決めるなどできようはずもない。その前に腹を割って話し合い、反省すべきは反省し、言うべきことは言うべきであろう。


それにしても、この敬語、気になりませんか?

社長がお述べになります?

「今から社長がお述べになります」

このように言う人がいたら、どう思うでしょう。

なんだか違和感がありませんか?

 

では、どこが間違っているでしょうか。

「お述べになります」は間違いか

実は、文法的には間違っていません。

 

「述べる」行為者本人を立てる敬語が「お~になる」です。

元となる動詞に「お」と「になる」を付加するので付加形といいます。

今回の例でいえば、「~」の部分に「述べる」を当てはめれば「お述べになる」の出来上がりです。

 

では、なぜ違和感があるのでしょうか。

「お話しになる」ではいけないのか

普通なら、同じ付加形を使うにしても、「お話しになる」という言葉を使うのではないでしょうか。

 

例えば、以下のような使い方です。

「その件については社長がお話しになります」

「社長がお話しになったことを心を留める」

 

一般的な「話す」を使わず、普通なら使われない言葉をあえて使っているところに違和感があるのです。

そして、そこには意図があるはずです。

「話す」と「述べる」

二つの意味を比べてみましょう。(今回の文脈に沿うところのみ転記)


■「話す」(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%A9%B1%E3%81%99/)

言葉で相手に伝える。告げる。語る。「事件を人に―・す」「電話で―・す」
相談する。話し合う。「父に―・してから返事する」

  

■「述べる」(https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E8%BF%B0%E3%81%B9%E3%82%8B/#jn-172298)

考え・意見などを口に出して言う。「所信を―・べる」「礼を―・べる」
文章で表す。「前章に―・べたごとく」


 「話す」が口から言葉を発することであるとすると、「述べる」には文章も含まれるということが一つ。そして、「話す」の場合は内容に制約がないのに対して、「述べる」は考えや意見などに限定されるようです。

映画でも裁判のシーンで「真実のみを述べることを誓いますか」などと言っていますよね。このように「真実を述べる」ことや「事実を述べる」はあっても、彼女に「愛を述べる」ことはないでしょうし、ランチに友人と行くにあたり「ラーメンとパスタならどちらがよいかを述べる」こともなさそうです。

要するに、なんとなく思っていることや結論がなくても構わないものではなく、(今後絶対に変わらないとは言わずとも)考えを尽くしたうえでの確固としたものであり、文章に残せるものということでしょう。

 

「愛は確固たるものではないのか……」と寂しく感じる人がいるといけませんので、もう一つ補足しておきましょう。それは、プライベートな場か、公の場かの違いです。「話す」はどちらでも使える言葉であるのに対し、「述べる」は公の場でしか使えないということです。愛はプライベートなので、「述べる」より、「話す」ほうがよいでしょうし、時には「ささやく」のがよいと思われます。

ズレに意味が生まれる

普通ならこの言葉を使うだろうという期待とは異なる別の言葉を使うなら、そこに意味が生まれます。

「話す」にはなく「述べる」には含まれる要素とは、「考えや意見」「真実(事実)」「確固としたもの」「公の場」ということでした。ならば、「話す」に加えて、これらの意味を含めたいということでしょう。

 

果たしてその意図が細田議長に伝わるかどうかは分かりませんが、言葉を繊細に使い、自分の中で生まれた小さな違和感を大切に聞いてみてください。

言葉とは、その人の内面を知る数少ない手がかりです。そして、相手を見るとは、自分の中にある鏡に映った相手の姿を見ることです。

 

それでは、また。


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