あなたは、せっかくのチケットが無駄になるよりはと誰かにあげたことがありませんか?そのとき、どんな言い方をしますか?
教育機関で働く知人は、職場で後輩から、CD引換券を差し出されてこのように言われたそうです。
※引換券は、▲▲駅直結のデパートで配布される、イベント用に作製されたオリジナルCDなので、そこに行かなければもらえないものです。
「〇〇さん、▲▲駅に行く用事ありますか?
もしよかったら、これもらってきてください」
そのとき知人は、なんで私にCDをと怪訝に思いながらも、せっかくくれた引換券だからと混雑したイベント会場へ出向き、CDをもらってきました。
ところが、もらってきたCDを自分のPCで聞いていると、そのCDを「返してください」と言われたのです。そこで初めて「もらってきてください」とは「この引換券をあげます」という意味ではなく、「私の代わりに取ってきてください」という意味だと気づいたのです。
実はこのケース、様々な問題を含んでいて、かなり深い事例です。
なので、自分でもうまく説明できるか分かりませんが、何回かに分けて複数の側面から説明していきたいと思います。
曖昧表現としての敬語は曖昧ではない
相手に敬意を示すはずの敬語を使うことによって、かえって誤解が生じるということはままあります。
それはなぜでしょうか。
■あえて曖昧表現を使うことで人間関係を明示する
直接的に表現するよりも、事柄を婉曲に話すことが敬意の表し方であり、その一つが敬語です。
もとより日本語は主語や目的語を省く傾向があります。英語なら「for me」という言葉が必ず入るだろうところを文脈から補って考えなければならないために、このような齟齬が起こりえるのです。
しかし、婉曲表現である一方、敬語には使用ルールが明確に決まっているため、かえって誤解をしないようにできています。
たとえば、「お書きになる」は「書く」という動作をしているわけではありませんよ(=そういう状態になっちゃっただけですよ)、という意味を表します。その人が明らかに自分の強い意思で書いていても、です。
「書かれる」も同様です。本人が書いているのではなく、誰か別の人がその行為をしているかのような表現です。
これらの表現を用いることによって、書くという行為について「触れません」「その行為を止めたり変えたりすることは私にはできません」「責任を問う立場にありません」という意思表明をしており、これが行為主体を立てる敬意です。
ならば、目下と目上という立場が明確なとき、「お書きになる」と表現すれば、(逆説的ですが)行為主体が誰かも必然的に明確になります。
■敬語は足りていたか
ひるがえって、今回の敬語はどうでしょうか。
聞き手を立てる敬語としては、敬称としての「さん」と文末の「ます」が使われています。これは、社内の人間関係としては、必要最低限の敬語です。
そして、主体を立てる敬語としては「ください」が使われていますが、これは上司が部下に対しても使うほど軽い敬語です。
言ってみれば、必要な敬語や敬意表現が使われていない。これが、今回の誤解の一つの原因といえるでしょう。
では、どのように正しい敬語を選ぶべきなのか、次回はその基準について考えたいと思います。
それでは、また。