敬語には機能があります。それは敬意を払う方向性を示すことです。
そしてその方向性は以下の3つです。
① 聞き手(読み手)
② 主体
③ 受け手
そしてそれぞれに、払う敬意の中身があります。
先週お伝えした「聞き手(読み手)尊重」は、三つの敬語のうちで、誰か特定できない人を立てる唯一のものです。具体的には「です」や「ます」、「小生」「弊社」「粗品」などを指します。それは自らが「へりくだる」ということであり、言葉を替えれば自分は不完全だと認めることです。
自分が不完全であることは、自分が人よりも劣っていることを意味するわけではありません。自分が劣っていて他者が優れているとか、逆に自分の考えは正しくて異なる意見は聞くに値しないとか、両方とも敬語の考え方には馴染みません。これをはき違えると、卑屈と謙虚を混同したり、敬語は封建的だと考えることになりかねません。
それでは今回は、敬語が示す敬意を払う方向性の二つ目、「主体」についてです。
主体(=〇〇するその人)を尊重するとはどういうことでしょうか。
問題
一緒に映画を見に行く約束をしていた友人から、直前になって今日は行かないと連絡がありました。このとき、下記の対応の内、どれが友人の主体性を最も尊重する態度でしょうか。
ヒント)「思いやり」と「主体尊重」は異なります!
A) 前から約束していたのを直前になって反故にするとは失礼だから、そんなことをしてはいけないと教え諭す。
B) 何か余程のことがあったのだろうから、気にしないように伝え、連絡をくれたことにお礼を言う。
C) 自分は一緒に映画に行く価値もない人間なんだということを受け入れる。
主体尊重とは
主体とは、文の主語のことではありません。主語が誰であるかにかかわらず、単語ごとに存在し、動詞ならその動詞の行為主体(=〇〇するその人)を指します。
主体尊重の敬語としては、「来られる」「お待ちになる」「召し上がる」などです。
そして、主体尊重の具体的な行為としては、その人をあってあるものとして受け入れ、自尊心を傷つけることのないよう立てることを意味します。それは、自身の価値を軽んじて卑屈になることとは関係ありません。
例えば以前記事にした、アース製薬の川端社長などは、主体尊重を地で行っている人だと感じました。
決して人を批判することなく、どんな人もあるがままに受け入れる。
言葉にすればたったの一行ですが、そうあるべきと分かっていてもなかなかできないことです。
答え
答えはBです。
Aは教育であり、関係性によっては決して悪いことではありませんが、主体尊重とは異なります。
Cは、自分の自尊心を傷つけてしまっています。たとえ相手が「一緒に行く価値のない人間だ」と本当に考えていたとしても、そう考える人もいるということを受け入れることが主体尊重であり、「(私が)価値のない人間だ」と結論づけることは論理の飛躍にしかすぎません。
あくまでも敬語は相互尊重の精神に基づいて使うことが必要です。
言葉は単なるツールですから、その言葉を使って人間関係を円滑にするのも断ち切るのも使い手次第です。
敬語の正しい使い方と意味を知って、自分にも周囲にも心地よい人間関係を築いてください。
次週は、敬語が払う方向性の3つ目、受け手尊重についてです。
それでは、また。