受け手尊重から敬意を引くとマニピュレーターになる

先週は、「受け手尊重」とはどのような態度のことをいうのかについて書きましたが、受け手尊重を伝える際に補足しておきたいことがあります。

それは、受け手尊重から敬意を引くと、マニピュレーターになるということです。

 

大体どこの職場にも一人や二人はマニピュレーターがいます。

 

今回はそんな人たちを見てきた経験と敬語の考え方を踏まえて書いた文章であり、心理学や脳科学など学術的な知見を踏まえているわけではありませんので、予めご承知おきください。

事実の受け入れ方が違う

先週は、受け手尊重を「自然現象など人にはどうにもできないことを受け入れ祈りながら生きてきたこの生き方を、人に対しても行うこと」と書きました。

 

マニピュレーターは人を操作することをゲームのように考えます。

彼らが非常に愛想がよく人を褒め自尊心をくすぐるのは、そのほうが自分の言葉を聞いてもらいやすいと学んでいるからです。しかし、それが奏功しなければ、次の手を考えます。優れたマニピュレーターは失敗から学ぶことに躊躇しません。自分の行動も考え方もどんどん改めます。敬意には畏れがありますがマニピュレーターにはありませんので、失敗を繰り返さないための方法を、常識にとらわれないばかりか残念なことに良識にも左右されずに学びます。それは時に独創的で自信に満ち溢れているようにも映ります。

 

加えて、非常に用心深く本当の自分は出さないので、傍からは謙虚に見えることもあります。敬意も似ていて、なんでもかんでも自分をさらけ出すことはありませんが、それは場の状況に合わせて出し方を調整しているだけで、嘘をつくわけではありません。マニピュレーターであれば、思ってもいないことでも事実と違うことでも平気で言えます。

自己認識が違う

意は相互尊重を基礎としますから、互いは平等です。誰もが自由意志を持っています。

一方でマニピュレーターは、人は納得しさえすれば勝手に動いてくれるとても便利な存在だと考えていて、自分のことは、そんな便利な人間の調教師か、人間という簡単なシステムを自分用にカスタマイズすることができる技術屋ぐらいに思っています。

したがって、どうすればこいつは納得するのか、それを引き出したいと思っています。聞き手尊重や主体尊重は、誰にでも通用する手段として重宝します。広く餌を垂らして、ターゲットを探します。その対象になる人は大勢のうちの一握りなので、対象以外の人には楽しいやつ、気の利くいい人、もしくは大人しくて目立たない人、などと思っていてもらえばそれでいいのです。普通は人に分かってもらいたいという思いがありつつ、それよりも人を優先するのですが、マニピュレーターには分かってもらいたいという欲求そのものが無いように見えます。

まるで、ロボットを操る操縦士はコックピットの中にいて、外からはどんな人か全く見えないように、いくら会話を重ねてもその人を見ることができない、そんな印象を受けます。

目的が違う

受け手尊重もマニピュレーターも対象に合わせて自分を変えますが、受け手尊重が「受け手のためにお役に立ちたい」という思いがあるのに対しマニピュレーターは「最終的には自分のために受け手を使いたい」という目的です。最も大きな問題はここです。

相手の敬意を見定める

敬語は敬意を表すために使います。マニピュレーターには敬語を嫌う人も多くいますが、敬語を使う人ももちろんいます。その場合には、行為と敬語が合っているかを確認しましょう。

敬語を使いながらやたらと内面に踏み込もうとしたり、ほめそやしながら立場に合わないアドバイスをしてきたりしていないでしょうか。

 

相手の言葉ではなく、相手の目的を見るように意識しましょう。

 

偽の敬意を見分けるためには、本来の敬意を知っておくことが大切です。

 

大切な人間関係をマニピュレーターにかき乱されないよう、皆さま、ご注意ください。

 

それでは、また。