今回は、読書感想文です。とはいっても、敬語と全く無関係なわけではありません。敬語は敬意を表すために使うものなので、敬意が何かを分からずに言葉だけ使っても適切な敬語は使えません。この本は、その敬意の中身を教えてくれる本です。
家政婦は見た!ではありませんが、犯罪心理学者は見た!と言われると、一緒に覗きたくなりますよね。そこで、読んでみました。
この本では、育て方のタイプごとにどんな犯罪に走りやすいかを分かりやすく解説してくれています。そこには、親が良かれと思ってやっていること、これぐらい別にいいだろうと思ってやっていることがどれだけ子どもの心に傷を残し、人としての成長を妨げるかが書かれていて、犯罪者を裁くというよりも「子どもを更生させるためには私たちの力だけでは限界があるんだ、親御さんの協力が必要なんだ、お子さんのためにどうかこれだけでも最低限分かってもらえませんか」という切なる願いが込められているように感じました。
4つの認知バイアス
偏った子育てをやめるためには、思い込みを外すことが大切だそうです。
その思い込みが、以下の4つです。
<確証バイアス>
すでに持っている思い込みや偏った考え方に合致する情報を無意識に集め、それ以外を無視する傾向のこと
<正常性バイアス>
異常な事態に遭遇したとき、「たいしたことじゃない」と心を落ち着かせる働き
<透明性の錯覚>
実際以上に自分の思考や感情が相手に伝わっているという思い込み
<行為者ー観察者バイアス>
他人の行動はその人の内的な特性に要因があり、自分の行動は環境など外的な状況に要因があると考える傾向のこと
これらは、誰もが持っているバイアスだからこそ、意識して外す必要があるものです。そしてこれらは、考えてみれば敬語にもある機能です。
そこで、次週からこれらのバイアスと敬語の関係性について書いていきたいと思います。
攻める防犯
あぁこの本を読んでよかった、と思った一文が下記です。
本書でも見た通り、非行や犯罪に走ってしまうのには、子育てが大きく影響しています。であれば、防犯は、子育てに行き着くのではないか。子育てはいわば、「将来の犯罪者を生まないための防犯」です。(p.237)
ただし、それが子どもなら、子育て如何によっては犯罪者にならないように影響を与え得るかもしれません。しかし、私のようにひねくれたまま大人になってしまったらどうしましょう。残念ながらもう、親に育てられる時期は過ぎてしまいました。また、親のいない子や、親が育て方を変えてくれない子はどうしたらよいのでしょう。
そこで私が敬語を通して伝えたいのは、大人になってからでも、親の協力がなくても、順風満帆とまではいかなくても投げやりにならず社会の中で生きていける基本的な考え方です。
統計を見るまでもなく、健全な自尊心と他者への思いやりを持ち、困っているときに頼れる人や信頼できる人に支えられながら前向きに努力することができる人は、そうでない人に比べて犯罪者になる確率は少ないでしょう。
そのような人間関係を作るには、敬意を込めた敬語が役に立つはずです。
死刑は犯罪抑止にはならない
私は死刑制度反対論者ではありません。死刑制度は、私刑や報復犯罪の代替になっていると思うからです。しかし、自爆テロを思い起こしてもらえば分かる通り、死刑制度は犯罪抑止にはなりません。自身を大事にし人とのつながりの中で幸せを感じるような人は、死刑になるような犯罪からは遠い人たちでしょう。
一方で自分なんかどうなってもいいと思っている人は死刑になりたいとすら考え、いくつもの障害を乗り越えてまで犯罪に向かっていく人もいます。
厳罰化や取り締まり強化よりも社会を幸せにするものは
いたずら感覚で多大な迷惑をかけるYoutuberや、指示されたことをやっただけと気軽に詐欺や強盗に加担してしまう若者が増えています。一方でコロナ下においては”マスク警察”というものが流行りました。その後は”マスク外せ警察”が出没したりもしました。このような人たちについて想像すると、主体性が希薄で権威あるものに従いたい人たちなのでしょう。そんなとき、それに反する行為をする人を見ると、自分が依って立つ権威までも否定されたようで不安になるので、その対象を屈服させて、自分が権威と見做しているものを同じく権威として受け入れさせたいのかもしれません。
片や権威に反抗したい、片や権威に屈服させたい、どちらも強がり、自分を大きく見せようとするのは弱いからです。どちらも健全な自尊心が育っていないか、傷ついている状態です。厳罰化だけではこの対立と分断をあおり、はみ出た人をもっと追い詰めてしまいます。(この本には、更生のために厳罰を与えるのを良しとする箇所は全く見当たりません)
その弱い人たちを他の社会的弱者同様一人にしないで支えていく、それはもちろん自分一人では決してできないので社会として支えていく。そういう人たちを”ごく少数の変な人”で終わらせず、隣人としてちゃんと見てあげる。それが、いつか自分自身を助けるときが来ると思います。なぜなら、ある日突然あなたが(そして誰もが)社会的弱者になるかもしれないからです。自分はあんな奴らとは違うと壁を作るのではなく、もし自分が社会的弱者になっても安心してそこに居続けられる社会、これが、相互尊重の社会ではないでしょうか。
子育て中の方も、そうでない方も、一度読んでみてはいかがでしょうか。
それでは、また。