1月26日のブログでは、『犯罪心理学者は見た 危ない子育て(SB新書 出口保行著)』の読書感想文にて、4つの認知バイアスを紹介しました。
本書38ページより再掲します。
確証バイアス
すでに持っている思い込みや偏った考え方に合致する情報を無意識に集め、それ以外を無視する傾向のこと
正常性バイアス
異常な事態に遭遇したとき、「たいしたことじゃない」と心を落ち着かせる働き
透明性の錯覚
実際以上に自分の思考や感情が相手に伝わっているという思い込み
行為者ー観察者バイアス
他人の行動はその人の内的な特性に要因があり、自分の行動は環境など外的な状況に要因があると考える傾向のこと
本書によると、これらの思い込みを手放すことは、子育てに限らずラクになったり、この先余計な苦しみを抱え込まずに済んだりするそうです。そこで、本書で紹介されていた4つの認知バイアスを一つずつ、どのように敬語に該当するのか説明していきたいと思います。
今回は、一つ目の確証バイアスです。
確証バイアスと「聞き手尊重」
確証バイアスとは、「すでに持っている思い込みや偏った考え方に合致する情報を無意識に集め、それ以外を無視する傾向のこと」でした。例えば「勉強しないと真っ当な大人になれない」という思い込みがあった場合、「勉強が嫌いだった」という成功者がいても「嫌いだったと言っただけで勉強しなかったとは言っていない」と認めなかったり、勉強ばかりしていた人の犯罪がニュースになれば「そんなのはイレギュラーケースで参考にならない」とはねつけてしまいます。一方で勉強して成功した人のケースを聞けば、やっぱりそうだと思い込みを強化します。
一方で少年院の先生は、本人の更生のために、「仮説にもとづき教育プログラムを実施し、ときどき振り返って修正点を見つける。その際は本人にきちんと伝えて修正する(p.34)」のだそうです。
さて、私のブログを読んでくださっている方なら、ここで敬語の「聞き手尊重」を思い出していただけるでしょうか。
先生と少年院に入れられるような少年とどちらが偉いかと問われれば、社会一般的には先生でしょう。しかしここでは「先生が偉いんだから言うことを聞け!」という態度は見られません。
先生が偉くないなら、少年が偉いのか。
いえいえ、そうではありません。人の意見を誠実に聴くことと、人の言いなりになることは違います。人の前に遜るのは卑屈です。
そのプログラムを実施した結果どうなったのか、その事実を謙虚に受け止める姿勢が聞き手尊重です。
それでは、また。