『犯罪心理学者は見た 危ない子育て』~②正常性バイアス

1月26日のブログでは、『犯罪心理学者は見た 危ない子育て(SB新書 出口保行著)』の読書感想文にて、4つの認知バイアスを紹介しました。

本書38ページより再掲します。


確証バイアス

 すでに持っている思い込みや偏った考え方に合致する情報を無意識に集め、それ以外を無視する傾向のこと

 

正常性バイアス

 異常な事態に遭遇したとき、「たいしたことじゃない」と心を落ち着かせる働き

 

透明性の錯覚

 実際以上に自分の思考や感情が相手に伝わっているという思い込み

 

行為者ー観察者バイアス

 他人の行動はその人の内的な特性に要因があり、自分の行動は環境など外的な状況に要因があると考える傾向のこと


本書によると、これらの思い込みを手放すことは、子育てに限らずラクになったり、この先余計な苦しみを抱え込まずに済んだりするそうです。そこで、本書で紹介されていた4つの認知バイアスを一つずつ、どのように敬語に該当するのか説明していきたいと思います。

今回は、二つ目の正常性バイアスです。

正常性バイアスと「建前」

少年犯罪と聞くと真っ先に思い出すのは女子高生コンクリート詰め殺人事件です。それほどショッキングな事件でした。その舞台になった家庭では、監禁されていた少女と監禁していた少年とその親とが一緒に食事をしていたこともあります。しかし両親はまさかそんなことになっているとは思わなかったと裁判で供述していました。これは勝手な想像ですが、親であればきっと何か変だなということは感じたろうと思うのです。ただ、「いや大丈夫だ、何もない」と無意識にか自分に言い聞かせてしまったのではないでしょうか。たぶん、こういうことを正常性バイアスというのでしょう。

 

敬意とは、相手に必要以上に近づかず、暴かないという側面もあります。それは、臭い物に蓋をしたり、見て見ぬ振りをしたりするというのとは少し違います。

上司の指示内容が多少的外れに感じられてもそれを責めずに従い、指示の仕方が雑ならば必要な情報は「私の物分かりが悪くて申し訳ないのですが」と質問して教えてもらうという工夫は敬意と言えるでしょう。しかし、上司が目の前で暴力を振るっている、賞味期限の切れた商品について賞味期限を書き直して出荷するように指示しているのを見た、というのを「あぁ、この会社では普通なんだな」と受け止めることを敬意だと言うつもりはありません。それは、建前に反しているからです。

 

建前は、その集団その集団によって異なります。人によっても異なります。そして、敬語とはこの建前に沿って使われるものです。

ある資産運用会社の建前は、「お客さまの財産を守り、豊かな老後のお手伝いをする」ことかもしれませんし、ある建築会社の建前は「地震や津波にも負けない、安心して生活できる空間を提供する」ことかもしれません。

その中で働いている人の建前は、「会社の役に立つ」ことかもしれませんし、「営業でトップになって売り上げを上げる」ことかもしれません。そこには(家族を養うためのお金を稼ぐ)という本音や、(やがてはコンサルタント会社を起業する)という本音がセットとしてあるかもしれませんが「会社の売り上げになるなら嘘をついて客をだましても構わない」というような建前は許されません。個人の建前は集団の建前に反してはならず、集団の建前も上位集団の建前に反してはならないからです。

 

正常性バイアスが働くとき、この建前を見失っているか、事実の前に謙虚であることを忘れているかのどちらかではないでしょうか。

言い換えれば、自分は今なんのためにここにいるのか、その建前を忘れないようにしたいものです。

 

それでは、また。