『犯罪心理学者は見た 危ない子育て』~③透明性の錯覚

1月26日のブログでは、『犯罪心理学者は見た 危ない子育て(SB新書 出口保行著)』の読書感想文にて、4つの認知バイアスを紹介しました。

本書38ページより再掲します。


確証バイアス

 すでに持っている思い込みや偏った考え方に合致する情報を無意識に集め、それ以外を無視する傾向のこと

 

正常性バイアス

 異常な事態に遭遇したとき、「たいしたことじゃない」と心を落ち着かせる働き

 

透明性の錯覚

 実際以上に自分の思考や感情が相手に伝わっているという思い込み

 

行為者ー観察者バイアス

 他人の行動はその人の内的な特性に要因があり、自分の行動は環境など外的な状況に要因があると考える傾向のこと


本書によると、これらの思い込みを手放すことは、子育てに限らずラクになったり、この先余計な苦しみを抱え込まずに済んだりするそうです。そこで、本書で紹介されていた4つの認知バイアスを一つずつ、どのように敬語に該当するのか説明していきたいと思います。

今回は、三つ目の透明性の錯覚です。

透明性の錯覚と文法

「愛している」なんて言わなくても通じ合っているの💗

 

そんな関係は素晴らしいですが、それは世界中で(一夫一妻制なら)最大1人しかいません。通常は言葉を尽くしてもなかなか分かり合えないのが人間です。

このブログでは、文法の間違いを何度も繰り返し取り上げています。それは、伝えたつもり、分かったつもり、をなくしたいからです。

 

多くの人は、私は今「お客さま」と呼ばれたんだからこの人が使っている敬語は私を立てている敬語に違いないと解釈します。実際に使われた敬語を気にすることもなく、正しい敬語がどうであるかを知ろうともしない人もいます。結果、「立てる」の中身も互いの思い込みとなります。「お客さま」と呼ぶ側は単にちやほやとおだて言いなりになることが立てることであると勘違いしたままそれを実践しようとします。客側はなんでも自分の思い通りになり黙っていても自分にとって良いようにしてくれると期待します。しかし、その歪んだ期待は、もうこれ以上は応えられないという一線をやがて越えてしまいます。そして、期待を持たせておきながらその期待を裏切られて傷つきクレームを言うという悪循環が生じます。

得をするのは、相手が抱いている蜃気楼のような期待を、自分のために使えばいいと気づいたサイコパスだけです。

 

自分が誰に対してどういう敬意を持っているかを明確に伝えるのが敬語です。同時に敬語は責任範囲を示します。それを意識して使うことによって、「私のことを人は分からないのだから、私がどういう敬意をもって人と接しようと思っているかをきちんと言葉にし、それでいいか聞き手が判断できるようにしなければいけない」ということを忘れないようにするのです。

 

それでは、また。