敬語を使ううえで必要な、自身をコントロールする目をどう命名しようかと考えていました。そんなとき、たまたまYouTubeを見ていて入ってきた言葉が「離見の見」。
調べてみると「離見の見」とは、「自らの身体を離れた客観的な目線をもち、あらゆる方向から自身の演技を見る意識のこと」と書いてありました。
これだ!と思ったものの、能についての知識が全くない私がこの言葉だけを取っても薄っぺらな理解で本質と食い違うのは目に見えています。
そこで、暫定ではありますが、良心や超自我とも違うけれど、自己の言動を見張りコントロールするものを「俯瞰する目」と仮置きしておきたいと思います。
この俯瞰する目は、今目の前にいる人間だけでなく、その人間に相対している自分も見ます。
そして、この人間関係が影響を及ぼす関係も見ます。もちろん、そこに悪影響を及ぼさないためです。
さらに、今とつながる未来を見て、それが自分の目的に合うように自身の言動を調整します。
これらがなければ、どのような言葉を選べばいいかが分かりません。
言葉が適切に選べなければ、適切な敬語も使えません。
不適切な言葉をただ敬語に直しても、そこに敬意は無いからです。
敬語を使うということは、このようなことまでを含んでいるのです。
それでは、また。