『お白洲から見る江戸時代』~②4段階で上下を可視化

表題の本をご紹介しながら、現在にも通じる組織運営の在り方を考察しています。

先週は、刻々と変わるその時々の上下を正しくお白州に可視化することで、お上がいかに民を正確に見ているかを知らしめる場になっていたのではないか、そのために目下が目上の顔色をうかがう必要がなく、生産的な社会になっていたのではないかと推察しました。

今回はその2回目です。

上下を正しく可視化する

江戸時代、その人の出自によって尊卑を決めることはなく、その時々の役割によってお白州のどこに座るかという席次が決まり、お白洲で扱うことになった事柄が起きたときにどういう立場だったのかということが量刑に勘案されたそうです。

 

時代劇で見るお白州には、一般庶民は一律に砂利に座らされ、大岡越前だけが畳の上に座っているというおぼろげな記憶ですが、それは現在の私たちの認識に合わせて分かりやすく表現されているということなのでしょう。現代の裁判では、被告でありさえすれば、社長であれパートであれ被告席という決まった位置にしか座りませんから。

 

しかし実際のお白州は、砂利、下緣、上緣、座敷と分けられていたそうです。現代で言うところの被告であったとしても、偉ければ上緣に座るのです。それにしても4段階、現実の人間関係がたった4段階で表せるものでしょうか。江戸時代のお役人も、その限られた選択肢の中で、いかに齟齬なく関係者の上下を可視化するかということに腐心したというのです。

4段階の席次と4段階の敬語

と、そんなことを書いておきながらふと思えば、主体尊重を表す敬語も4段階(無敬語<受身形<付加形<特定形)です。この4段階を使って、実際にはグラデーションのような上下関係を言葉の上で表現するのが敬語の役割です。そう考えると、ますます敬語と江戸時代の文化がつながっているように感じられてきます。

 

もちろん、標準語も含めて現在の敬語の体裁を整えたのは明治政府以降ですから、言葉自体は大きく変わってはいますが、やはり脈々と通じるものは私たちの皮膚の下に残っているのではないでしょうか。

 

そしてまた、現代における裁判の被告席と同じように、目の前の客を立ててればいい、目の前の上司を立てればいいと、一つの席だけを考えている人には、この4段階は無用の長物かもしれません。目の前の人を含むもっと広い人間関係を踏まえるからこそ、この4段階でどう表現しようかと悩むわけです。

 

この本では、この者をどこに座らせるかということを上役に聞いたり、先例を当たったり、取り決めをしたりと色々な苦労をしている姿が描かれていますが、なぜそこまで座席にこだわったのでしょうか。

現実の秩序を守るため

それは、現実の秩序を守るためでした。

 

少し話が変わりますが、現代の裁判に、法務大臣が出てくることなどあり得ませんよね。しかし、江戸時代のお白州には町奉行が必ず出てきたそうです。全件です。

 

今更ですが、そもそもお白州とは、裁判をするための場所ではなかったそうです。ただ規則に則って手続きするだけなら、誰がやっても同じなのですから、それが誰であろうと気になりません。しかしお白州は、庶民の困ったときに駆け込むところであり、詮議も行うが褒賞も賜るという、「為政者と庶民をつなぐ場(P.250)」であったわけです。だからこそ、形式的にでも町奉行が”居る”ということが大事でした。

 

そして、現在において内閣総理大臣は天皇によって任命され、権威の源泉は天皇によって担保されていますが、江戸時代、天皇との距離はこのお白州には反映されませんでした。

 

私には、それが権威を笠に着て民衆を支配することを選ばず、現実社会である民と一枚岩になろうとする(という表現で伝わるかどうか不安ですが)ことで、統治しようとしていたように思われるのです。

そして敬語も、現実の人間関係の上下を正確に可視化し、自身をその中に含めることによってこそ現実に対して能動的に働きかけていこうとする姿勢に違いはありません。

 

いかがでしょう、組織運営を考えるヒントが何かあったでしょうか。

 

それでは、また。