表題の本をご紹介しながら、敬語と共通する考え方、現在にも通じる組織運営の在り方を考察しています。
先週は、上下関係を正しく可視化してお白州に表現することで、天皇や神仏の権威に頼ることなく現実の秩序を守ろうとしたと書きました。
今回はその3回目です。
権威に頼らずとは言っても、斬り捨て御免の武士においそれとは逆らえないし、江戸時代は非常に罰が厳しくて、すぐに死罪や流刑になったとも聞きますから、やはり民衆は怖くて逆らえなかっただけなのではないでしょうか。本心は虐げられて不満が溢れそうだったのではないでしょうか。
この本一冊で江戸のすべてが分かるわけではありませんから、そういう側面もあるのかもしれませんが、それはこの本からは読み取れませんでした。
偉いからといって忖度しない
江戸時代において、越後屋から小判のまんじゅうを受け取って「お主も悪よのう」と笑う悪代官はいたのでしょうか。そしてそれは大岡越前や水戸黄門のような理想化された人物でなければ取り締まれないものだったのでしょうか。
まぁ、いたかいないかは分かりませんが、少なくとも現実に権力を握っているものに対して、お裁きの判断が甘くなったのかというと、そんなことはありませんでした。詮議の結果については、甘くなるどころか逆だというのです。
治者の立場にあるものは人の規範たることを求められ、罪を犯せばその罰は、被治者より一等以上重くするのが常識であった。例えば「ふとお金を盗んだ」という罪は、庶民の場合、その額が金十両未満ならば罰金、入墨、たたき敲などで済む。だが士分の場合、盗みはその金額に関係なく、たとえ小銭でも盗めば原則として死罪である。(p.245)
数十円の釣銭を盗んだ職員が懲戒免職になる一方で、現代の政治家は裏金作りに忙しく、どうにも追及の手を逃れられないと思えば辞任して、それで終わりです。私たちが一生かかっても手にできないような金額を得ても、刑事罰を受ける者はほんの一部にすぎません。
後に再選でもしようものなら、有権者がそれは問題ないと判断した結果だろうがと開き直ります。果たして政治家とは厚顔無恥でなければ務まらない仕事なのだろうかといぶかしく思われてきます。
そんな政治を常日頃から見せつけられ不満の溜まった人たちが、「恥を知れ、恥を!」のような言葉に惹かれたとしても、不思議はないのかもしれません。
治者ゆえの重罰
時代劇では、不幸の末に盗みをした者が市中引き回しのうえ打ち首獄門というような場面があったように思いますが、上記からすると、実際は逆だったようです。
小銭を盗んだだけで死罪とは、いくら何でも厳しすぎる気がしますが、昨今の政治家を見ていると、江戸時代を少しは見習ってほしいと思いませんか?
罰が重いというだけではありません。身分の高い人は上緣などに座れますが、裁きの結果、有罪だとなれば「後ろ返し」にされました。
「後ろ返し」とは、「緣側から砂利に引き下ろされる」ことです。
実際に死罪になるところは見なくても、悪いことをした治者が高いところから仰向けに引きずり降ろされて目の前で羽交い絞めにされるのは胸のすく思いがしたでしょうし、お上はやっぱり分かってくれたと信頼を高めるのではないでしょうか。
御白洲という舞台の最後の見せ場は、奉行による落着の「申渡」である。 この申し渡しの際も、追放以上ーつまり「身分動き候仕置」の場合、上者はここでも例の「後ろ返し」によって、緣側から砂利に引き下ろされるのが決まりとなっていた。
(P.248)
つまり詮議座敷でも、有罪の申し渡しはわざわざ緣側に連れていって行い、さらにはそこから砂利へと引き下ろし、羽がい縄で牢屋敷に連行している(P.250 )
現代の例に当てはめて考えてみるなら、例えばスマホ持ち込み禁止の執務室があったとして、一般社員やアルバイト、パートが持ち込んだら懲戒免職で、部長や社長が持ち込むならそれはお前らとは違うんだから不問、と言われたら、果たして一般社員以下は健全な自尊心を保ったまま働くことができるでしょうか。
「非正規労働者であれ管理職であれ等しく懲戒免職」、であればまだ納得を得やすいかもしれません。さらにはそれが「一般社員やアルバイト、パートであれば注意と1週間の出勤停止、普段からそれを指導する立場の管理職であれば理由の有無にかかわらず懲戒免職」であれば、管理職から口うるさくスマホを持ち込むなと言われても納得できるのではないでしょうか。率先垂範という言葉がありますが、江戸時代は、これを実際に行っていたように思われます。
いかがでしょう、組織運営を考えるヒントが何かあったでしょうか。
それでは、また。