表題の本をご紹介しながら、敬語と共通する考え方、現在にも通じる組織運営の在り方を考察しています。
先週は、身分の上下に応じて席を決めるが、それは責任の重さをも表し、罰は重くなるという話をしました。ふさわしくない行動をしたとお裁きがくだされた治者は高いところから文字通り引きずり降ろされ、そして、それによって被治者である民は納得したろうと書きました。
今回はその4回目です。
本書は私に、新たな江戸時代のイメージを与えてくれました。そして265年もの間、平和に統治ができた理由を垣間見た気がしました。
自浄作用と信頼
今までのところを読むと、江戸時代に長く平和が続いたのは、単に運がよかっただけでも圧政で声を封じ込めていたわけでもなく、幕府が被治者に納得してもらえるように努力をしていたことが見えてきます。
現在は、多数決が民主主義のように思われ、選挙で勝てば何をやってもいいような風潮が見られますが、選挙もない江戸時代のほうが、庶民に納得してもらえるよう、信頼してもらえるよう努めていたように見えます。
江戸時代の御白洲における「お裁き」は、治者による被治者への恩恵であり、権利などという発想は元来微塵もない。(P.299)
江戸幕府も仏教や神道などを使っていたのかもしれませんが、別に自身を神格化していようなことはなかったと思います。そもそも先にも述べたように、治者の立場は金で買えたのです。被治者も治者がただの人であることは十分に分かっていたはずです。それなのに、この一文は、まるで敬虔なクリスチャンの態度のそれのようです。
選挙はなく、なりたいと思えば「士」の身分を買えたとしても、このように厳しい罰を見ていれば、裏金で儲けてやろうと考える不届き者は治者になろうとはしないでしょう。もし不届き者が現れたとしても、「後ろ返し」を見れば庶民は納得し、改めて幕府を信頼しようという気になるのではないでしょうか。
今の日本は民主主義国家ですが、江戸時代と比べてどちらのほうが民を主としているかといったら、果たして今の日本であると言い切れるでしょうか。江戸幕府は、お白州から見る限り、いつも民を見ているように思えます。
明治時代の日本を良かれと思う人たちも多いようですが、もう一つ遡って江戸時代に目を向けるのもいいかもしれません。
敬語で考えると
これを敬語の見方を使って考えてみましょう。
敬語で誰かを上に見るとき、敬意としては基本的にその対象を傷つけずその対象の選択や行動を尊重します。その人のありのままを受け入れるのです。もし、それが上司なら「無駄な指示だなぁ」と思っても従うことになります。
であれば、その上司を誰が裁けるのかといったら、上司の上司(の上司、かもしれません)ということになります。上が、下をきちんと見て、褒めるべきは褒め、正すべきは正すということをしなければ、歪みは弱いところである下に溜まり、いつかは耐えきれなくなって何かしらの行動を起こさざるを得なくなります。下が上の権力に従うように、上は下を畏れなければならないのです。これは、以前書いた、『ねずみの嫁入り』の世界観です。
このように考えると、ダイバーシティだインクルーシブだと叫ばれる現代よりも、江戸時代のほうがよほどいろんな人たちが調和して暮らしていたのではないかと思えてきます。私には、それぞれの立場を整理し、双方が、そして民が納得するお裁きを加えるお白州は、ふんぞり返るお殿様というよりも、チームビルディングの一端であるとも見えるのです。
いかがでしょう、組織運営を考えるヒントが何かあったでしょうか。それでは、また。