この本の著者は金谷武洋。カナダで25年日本語を教え続けた先生です。
先週は、母語の重要性についてご案内しました。
日本語が世界を平和にする理由
今回取り上げたいのは、以下の言葉です。
英語に代表される他動詞のSVO構文を基本とする言語の根本的な問題は、その構文が発想として「SとOの分離による二元論」そして「S(主語)のO(目的語)に対する支配」へと繋がるということにあります。
さらに、Sには「力」とともに「正義」がしばしば与えられてしまうのが一番危険なのです。英語を始め西洋の言語の話者が何か失敗をしても謝らないのはそのためでしょう。自分は力と正義が与えられるSの位置を常に保っていたいと思うからです。(p.224~225)
この文章を読んで心が震えました。
私が敬語を広めたい理由が、まさに書かれていたからです。
別に英語であるに限らず、たとえ日本語であっても、SVO構文は「支配」と「力」と「正義」を伴いやすくなります。そして、「支配」や「力」や「正義」と相性がいいのは「物事はこうあるべき」という決めつけで、「愛」という顔をして「あなたのためにはこのほうがいいのだ」とささやきながら近づいてくることもあります。それを防ぐのが敬語です。
例えば、”I carry your bag.”というSVO構文を日本語に直した次の2文を見比べてください。
「私が鞄を持ちます」
「お鞄、お持ちします」
上はSVO構文(日本語なので、実際の語順はSOV)ですが、下は動詞だけの動詞文です。動詞文の「お鞄」は、目的語ではなく主題です。
「お鞄をお持ちします」ではなく「お鞄、お持ちします」。主語も目的語もありません。
SVO(SOV)構文なら、「あなたのために」もしくは「あなたには鞄を任せられない」というニュアンスが出がちなところを、敬語が使われていることでこのニュアンスを否定しているのが伝わるでしょうか。これは受け手を立てる敬語である「受け手尊重」です。
実際には、相手が目上でなければ敬語を使って話す必要はないかもしれません。かえって敬語を使うことが不自然な状況もあるでしょう。そんなとき、こう言うかもしれません。
「あ、持つね」
このほうが、日本語としてよほど自然に感じられます。
そうすると敬語とは、目上に対してきちんとした話し方をしなければならないときにも、決して対立を感じさせないように配慮する言葉、と言い換えられるのかもしれません。
それは、「対立」が激しくなったときにも役に立つはずです。怒り、拒絶、制裁、断絶、暴力、そんなもの以外の選択肢を見出すには、「対立」以外のものの見方があったほうがよくはないでしょうか。
愛情は勝手に湧いてくるものかもしれませんが、相手を尊重しようとする敬意は自分の意思でコントロールするものです。どんな相手にも常に敬意を払い続けるということはできなくても、問題が起きたとき、この人間関係はいびつになっていないだろうかと感じたときに、意図的に敬意を払うことで改善されることもあるやもしれません。
今回でこの読書感想文は終わりにしようと思っていましたが、来週も、もう少し語らせてください。
それでは、また。