『猫語の教科書』に学ぶ敬語のエッセンス③〜矛盾も受け入れる

世にも賢い猫が、なんとタイプライターを駆使して原稿を仕上げ、人間の家の乗っ取り方を指南する『猫語の教科書』。

猫好きにはたまらない本でしょうけれど、それだけでなく、実際に読んでみると驚くことに敬語のエッセンスが散りばめられていました。

なるほど猫があれほどに人間を魅了してやまないのは、見た目の可愛さに甘んじることなく、ここぞというときの敬意を十分に踏まえているからなのですね。

敬語は人を支配するためのものではありませんが、人間をいとも簡単に支配してしまう猫から学ぶ敬語のエッセンス、3回目の今回は、良い面ばかりではない矛盾した人間の受け入れ方を教わります。


前回は、自分から見たら嫌なことを押し付けてくるその人にも守らなければならない枠組みがあるのだから、ともにその枠組みを守りましょう、その意思表示が敬語ですという話をしました。

しかし、それにしても理不尽なことを言われたりされたりすることはありませんか?

それについても猫は教えてくれています。

矛盾した人間に付き合うには

人間は日によって気分が変わり、昨日は優しかったのに今日はイライラして当たり散らすなど理不尽な行動を取ることあります。これは猫にとってもはなはだ迷惑なことですが、大概の人間にも、自分の目上にあたる人のご機嫌に振り回された経験があるのではないでしょうか。それについて、このように説いています。

しかえししようなんて思ってはダメ。絶対にダメよ。その場で自分の権利を主張しようとすると失敗します。(中略)首をひっこめて、彼の前から消えなさい。だいじょうぶ、あなたの権利はちゃんと守られているわ。なぜって、どうせすぐに彼の良心がめざめてきて、あなたをぶって悪かったと後悔しはじめるに決まっているもの。(p.174)

「その場で自分の権利を主張しようとすると失敗します」との言葉に、私の経験が、大きくその通りだとうなずいています。敬語を知る前の私は、「私が言っていることは正しいことなのに聞いてくれない!こんなことは間違っている!!」という怒りや恨みや疎外感に苛まれていました。それは対立しか生まず、対立してしまえば、力の大きい方が勝つに決まっているのに……。まぁ、若いってこういうことでしょうかね😅

 

閑話休題、人が変わるのは自分で悪かったと思ったときであって、人から(まして目下の者から)言われて変わるわけではありません。必要なことは、ただ、自分がやったことの結果を見て内省できる安全な環境と独りで考える時間です。だから目下の者ができる働きかけは、逆説的ですが目上を変えようとしないことなのです。

この、特定の誰かを変えようとしない姿勢が、言葉を換えれば、「立てる=敬意を表す」ということの大きな要素です。

であれば目上とは、立てるに値する素晴らしい人間なのでしょうか。

本当に?と疑問が湧きませんか?

そんなことを次回は読み解きたいと思います。

 

それでは、また。